猫の気持ち 其の五

吾輩は食後の散歩をしておる。新しく出会った町を探索中である。

 十分ほど主人の背中から町の様子を観察しておるところであるが、異国の地まで移動したワケではなさそうだ。見覚えのある建物はまだ見当たらないが、人々の様子や話し言葉からしてそう遠くまでは来ておらぬであろう。まずは一安心だ。
 町の景色が後ろから前へと流れてゆく。住宅街を抜けたのであろう、飲食店やスーパーが増えて人の数が多くなってきた。
 またしばらく観察を続けていると踏み切りの音が聞こえてきた。駅が近いようであるな、電車か駅名が見えれば現在地を探るヒントになるのであろうが、主人のリュックに潜り込んで背中合わせに向いているので今のところ音しか聞こえない。
 電車が通り過ぎて踏切が開く。踏切を渡るついでに駅のホームが見えたので駅名を確認しようかと思ったがまだ遠い、しかしながらちょっと見覚えのあるような気がするホームだ。意外と近いぞこれは。
 主人が進行方向を変えた。駅の改札へと向かっているのであろう、ここで何処から沸いて来たのかは分からぬが一気の人の数が増えてきだした。学生が多い町のようであるな、それっぽい服装の若人に甘い香りが流れるお菓子屋さんと喫茶店だらけになった。
 いよいよ改札へ向かうかと思いきや。主よ何をおもったのか駅前を通り過ぎてしまう。
 しかし、ここで駅の看板を確認することが出来た。『園原駅』とある。なるほど、吾輩の自宅の最寄り駅から二駅の近所であった、まあそんなものであろうな。
 さてさて、主よ一体全体何処へ向かうつもりであろうか。しばらくジッとしていると、とある喫茶店の前で立ち止まった。
「お前はカリカリを食べてご満悦だろうけど僕は朝からまだ何も食べていないんだ。今度は僕がご飯を食べさせてもらうよ」
 そう呟くと、リュックを下げてから吾輩を抱き上げ、地面へと降ろしてくれた。
「猫のお前には分からないだろうけど、この店でブリテンサンドを食い散らかしながらスマホをイジるのが最近のトレンドなのさ」
 ふむ、新興宗教の儀式か何かかのう、犬や猿でも分からぬと思うが。ついでに言えばズボンのチャックが全開になっておるようじゃがコレも儀式の一環であろうか。
「さ、ココはペット入店禁止なんだ。アッチの公園で散歩でもしておいで、あとで迎えに行ってやるから」
 チャックが開いているのを教える暇もなく追い払われてしまった。主は再びリュックを抱えると踵を返し、店の中へと入ってゆく。
 うむ仕方がない。言われたとおりちょっと散歩でもすることにいたそう。

猫の気持ち 其の九

吾輩は瞑想している、午後の陽射しがとても心地よい。

 ここは名も無き主のアパートである。リビングの窓際でやわらかい空気に包まれながら今後の方針について、いろいろと思案しているところなのであ~る。
 今日は土曜日なので学園はお休みである。したがって名も無き主も家の中に居るのであるが、今日は朝から自室へと閉じ篭って何やらオンラインゲームに熱中しておるようだ。もちろん、夢中になっているのは先日届いたばかりの新作ゲーム『希望の搭』であ~る。
 首の皮一枚繋がったという感じで何とか留年をまぬがれて気が緩んでしまったのであろうか、期末テストのことなどはもうすっかり頭の中からは消え去ってしまっているようである。それからと言うもの、学園内においては、スマホで例の美女学生へ熱心にリツイートと言う作業を行いながら、SNSでいかに自分が彼女と得意な仲であるかを必死にアピールしてみたり、家に帰って来てはそそくさとパソコンを立ち上げて例の新作ゲームを徹夜同然でやり込む日々が続いている。
 どうやら新作ゲームの進捗状況もSNSで報告するのが日課になっているようで、先日もゲーム内のカジノにどっぷりハマリ込んだあげく7000万ギルも摩ってしまい、憔悴しきった表情でベッドに寝転がっている姿を自撮りして動画投稿サイトにアップしておられた。
 SNS上では、たちまち哀れみのコメントとカンパが押し寄せ、人気急上昇中のブログとしてランキング入りを果たしたようである。
 吾輩はその一部始終を名も無き主のそばでずっと観察していたのであるが、仮病にしてはなかなかの名演技であった。将来は名俳優になるやもしれぬ。
 そして今日も、朝起きると同時に吾輩をベッドから蹴落とし、「今日こそは第七階層まで登ってアズナちゃんと結婚するんだ」などと宣言をしてから、吾輩にお昼ご飯を与えるのも忘れてオンラインゲームに夢中になっている次第なのであ~る。
 吾輩がお昼ご飯をがまんすることで名も無き主がアズナちゃんと結婚出来るのであれば、喜んで我慢してあげるのであるが、どうも事はそう単純ではなさそうである。と言うのも、先ほどのことなのであるが、いいかげんお昼ご飯を催促しようかと名も無き主の部屋へ入ろうとしたら、丁度トイレに行くためにリビングへと出てきた名も無き主とバッタリ鉢合わせしてしまった。そして吾輩と視線が交差するや否や、「チッ、黒田め。いよいよ本性を現して来やがったぜ」などと殺意のこもった謎の台詞を吐き捨てると、そのままプイッと行き過ぎてしまった。
 どうやら只事ではない何かが起こってしまったようである。
 何となく恐ろしい毛配を感じたので、吾輩はそのままベランダの方へ舞い戻り瞑想に耽ることにした。アズナちゃんとのお見合いが御破談にならないことを静かに祈ることにいたそう。
 それにしてもお腹が空いたにゃあ。朝から何も食べていないのであるからなおさらである。このままでは夜のご飯も抜きになってしまうのではないであろうか、不安が脳裏に浮かぶと同時にふと思い出した。
 今日は例のネコネコ団集会の日である。名も無き主におねだりしなくても御馳走にありつけるではないかぁ。そう考えると、みるみる体に元気が沸いてくるのを感じる、先程まで空腹感ばかりであったお腹のムシもピタリと鳴き止んだ。むしろ今では晩餐を思う存分楽しんでやろうと言う気概と共に水一滴すら口にはするまいと言う、信念にも似た固い決意が沸いてきた。

猫の気持ち 其の八

吾輩はこの学園で講義を受けようと思う、名も無き主の運命を見届けるためだ。


 心優しい吾輩は、主の様子を伺いに本部棟へと戻ってきた。中央のロビーまでやって来ると、名も無き主は以前と同じ場所にまだ居るようだ。
 しかしながらちょっと様子がおかしい、膝の上でノートパソコンを広げて何やら一生懸命作業をしているように見える。
 あちゃー、ついに友達は捕まえられなんだか。まさか、今から課題のプログラムを作り直そうという魂胆であろうか。これは留年確定かもしれないのう、下手に近づくと八つ当たりされそうなので、ちょっと離れた所から見守ることにしよう。
 しばらく名も無き主の様子を見守っていると、突然、吾輩の目の前に一人の女性の姿が現れた。
 何となく見上げた瞬間バッチリ目が合ってしまった。そこには、ウェーブの掛かった茶褐色の長髪に少しあどけなさの残る端整な顔立ち、そして左の目尻にある泣き黒子がまたチャーミングで愛らしい美女が佇んでいる。エ・ロースの真髄を味わい尽くし、もはやアイドルのパンチラごときでは眉一つ動かさぬ吾輩を金縛りのように釘付けにしてしまうこの女人はいったい何者ぞ……。
 しばらくジッと見詰め合っていると、ニッコリと女神のような笑みで語りかけて来た。
「あら、こんなところに可愛い猫ちゃんが」
「あ、はい。満毒斎でござるデスデスデス」
 吾輩は何者かの意思に後押しされるように自然と彼女の足元へと導かれる。そして、尻尾をピンと立ち上げ、二本の足の間を八の字を描くように交互に移動する。これは猫又流の友愛を示す所作である。別にパンツを覗こうとしているわけではないぞ。
「あらあら、お腹でも空いているのかしら」
 吾輩は足元からすくい上げられ、謎の美女と正面から向き合う。間近で見るとまたさらに美しい。古今東西において真に美しいものは自然体であるときが最も輝いて見えるもので無用な飾り付けなど一切必要ない、何でもかんでも眼鏡を掛ければ良いというわけではにゃいのだ。
 さらに吾輩の眼前には史上最大級とも言うべき巨大な島宇宙が二つ渦巻いている。ブラウスの隙間から覗き見えるこの神秘的な谷間を黙って見ておるだけで良いのであろうか。
 否、真理探究者としてやるべきことは一つしかないであろう。
「いざ行かん、神秘なる谷間の深淵へ! とうっ」
 吾輩は女神の両腕を離れ、ブラウスの中へと潜り込んでゆく。
「あらあら、おませさんな猫ですねぇ(笑)」
「ヤダー、何この猫キンモー。ヤバイって如月さん、変なバイ菌移されちゃうわよ、さっさと引きずり出して窓から投げ捨てちゃいなさいよ」
 何やら同級生らしき連れの学生が罵詈を浴びせて来ておる。まったくもって不敬な輩であるな、吾輩を何と心得ているのであろうか。教育機関の最高学府に属する知性とは到底思えぬ、どうせ裏口入学であろう。
 吾輩は、肉球を聴診器のように彼女の体へと押し当てて、各部位の健康診断を開始する。うむ、実に見事な健康体であるな、病気や疾患の類は一切見当たらない。そして、この膨よかながら張りのある筋肉。これはきっと何かしらの武道を嗜んでいるに相違ない、しかもかなりの腕前とみた。さらに微かに漂う石鹸のかほり――ウン、たまらんにゃあ。

猫の気持ち 其の七

 吾輩は学園へ潜入している。名も無き主と一緒に敷地内を散策しておるところだ。

 駅の改札を出て、一本道の桜並木を二、三分ほども歩けばすぐに高原峰学園の正門へとたどり着くことができる。
 吾輩は最近になってからこの地へとやって来たよそ者であるから、この学園のことはほとんど知らない。
 正門を通り抜けると、右手側に全面ガラス張りの建物がポツンと建っている。
「あれが本部棟だぞマイケル」
 不慣れな吾輩のために案内をしながらのっしのっしと進んで行く名も無き主。一人ぼっちのときには猫でも丁重にあつかってくれるようだ。
 それにしても無駄にだだっ広い学園であるな。他にも校舎らしき建物はいっぱい見えるのであるが随分と離れた場所に点在している。決して猫になったから離れているように感じる錯覚ではないであろう、中には雑木林の中に半分埋もれてしまっている建物もある。生徒達は講義室への移動が大変であろうな。
 どの辺りから探索してみようかと沈思しておるあいだに本部棟へ到着したようで、再び空調の効いた広い空間の中へと引き連れられたのであるが、吾輩は主のリュックから頭だけを出した状態で身動きがとれないままである。せっかく訪れた学園を自由に散策させてもらうには、まだしばらくの間ジッとしておく必要がありそうだ。
 名も無き主は無言のまま、ズンズン本部棟の奥へ奥へと進んでいく。
 どうやら行く先は決まっているようであるがはてさて、いったい何処へ行くつもりかな。
 玄関を抜けた先の大広間をそのまま通り抜け、今度は薄暗い照明がついた廊下を進み始める。しばらくすると、両側の壁に貼り紙がいっぱい付けられたボード群が現れる。
 なるほど、掲示板を見に来たのであろう。ふと足を止めたかと思うと何か探し始めたようである。
「チッ、やっぱり休講じゃないや」
 残念。希望的観測も見事に砕け散ったようであるな。さぁ、大広間へでも戻ろうか。
 大広間へ戻ると、学生達がのんびりと昼の休憩を取っているが混雑はしていないようで、席はたっぷりと空いているようだ。中央付近の大型テレビが良く見える席を見つけると、ドカッと腰を下ろし背もたれへ寄り掛かってきた。
「あやや、ちょっとまたれよ名も無き主よ」
 吾輩が抗議の声を上げてからやっと気が付いたようで、あわてて前へかがみ直すとリュックを背中から降ろして隣の席へと放り出す。
「おっといけね。マイケルが入ってたんだったな」
 危ないあぶない、あやうくスクラップにされるところであった。気を付けてほしいものであるが、今はそれどころでは無いと言った様子で、すぐさまポケットからスマートフォンを取り出し操作を始める。
 さて、どうしたものかのう。スマホをイジっている主を観察していてもしょうがないであろうし、そろそろ自己解放運動を開始しても良い頃合であるかな。開放♪ 開放♪
「んー、どうしたんだマイケル。そんなにソワソワして。毛でも疼くのかい」
「まぁな。そろそろ学園内を探索してみたいのでリュックから出しておくれやすぅ」
 吾輩がまた一声上げて訴えると、リュックのジッパーを広げて出やすいようにしてくれた。
「ウチの学園は無駄に敷地だけは広いからな。女の子ばかり追っかけ回して迷子になるんじゃないぞ、マイケル」
「あいよ、ガッテン承知の助でござる」

猫の気持ち 其の六

 吾輩は電車に乗っている。円天舞う空の中を主と一緒にのんびりと旅をしているところだ。

「どうだぁマイケル。これが電車って乗物なんだぞ、スゴイだろ」
 ふむ、小学生ではあるまいし、何がスゴイのかもう少し具体的な説明がほしいものだのう、吾輩はエスパーではないのでな。ついでに言えば、お主が土を掘り起こして線路を引いたわけでもあるまいに、自分で拵えたかのごとく振舞う理由も教えて欲しいところだ。
 こんな呆け経に洗脳されてしまったような主でも主には違いないので、ちょいと尻尾をゆらゆら揺らして敬愛の意を表現してみることにした。
 すると満足してくれたのであろう、お多福のやうな満面の笑みを浮かべるとズボンのポケットからスマホを取り出していじり始めた。
 おそらくは課題のプログラムをコピーさせてもらうために同級生と連絡を取っているのであろう。学園へ到着するまでにはまだ時間がある、吾輩は主の横で丸っこくなりながら終点に着くまで一眠りしようかと思っていたときである。
「あぁ、ふざけんなよぉ」だとか「ちーがーうーだーろー」とか「○△×~」と裏声でヒトモドキのような笑い声を上げると、スマホの向こうに居るらしい見えない敵と戦い始めてしまったではないか。これはちょっと煽て過ぎてしまったかのう、変なスイッチを入れてしまったかもしれにゃい。
 しかしながら、観察しているぶんにはなかなか愉快なので、このまま生暖かい目で見守ることにしよう。


 電車は丘の上にある学園へと向けて螺旋状に旋毛を巻きながら進んで行く。
 ほとんど学生しか使わないので、四両編成のこじんまりとした列車となっている。電動化されてはいるものの、車内は全席向かい合わせのボックスシートで昔ながらの雰囲気がそのまま残っているせいか、一見すると何処かへ旅行にでも行くかのように思われそうだ。
 途中に三つほど停車駅があるのだが、二つ目の停車駅で一人の中年男性が乗り込んできた。肩掛け式の大きな荷物袋を抱えており、動き出した電車に煽られながらフラフラとこちらに向かって歩いて来る。
 午後の時間帯と言うこともあってほとんど空席だらけなのであるが、吾輩と主が座っている席の横でピタリと動きが止まった。