猫の気持ち 其の五


 10分ほどで舞子さんが勤める菅野探偵事務所に到着する。鍵を開けて事務所に入ると、しばらくは舞子さんと二人きりの静かな時間が訪れる。吾輩はいつも通り、来客用のソファへ陣取って一眠りすることにしよう。何せお客なんか来たためしがないので、もはや吾輩専用のベッドと言っても過言ではなかろう。
 菅野探偵はと言うと、大抵お昼前くらいに眠そうな顔をしながらボリボリと頭を掻きつつ事務所へとやって来る。あとはそのままボーッと事務所の中で時間を潰しているか、用件が出来たら事務所から出て行き、それきり帰って来ないかのどちらかである。
 何故なのかはまだ分からないが、この菅野探偵と言うのは一度事務所から出て行くと戻って来たためしがない。まるで檻の中からの脱出を企てている囚人のごとしである。そして、舞子さんもそのことに対して物申す気配は全くないのだ。
 探偵事務所の所長が戻ってこないにもかかわらず、時間が来るとそのまま事務所を閉めて吾輩と一緒に自宅へと帰るのが当たり前になっている。どうも何か暗黙の取り決めでもあるのか、はたまた吾輩の観ていないところでスマートフォンなどを使い密かに連絡を取り合っているのか。まだ詳細は判明していないのであるが、この探偵事務所のミステリーである。
 ちなみに菅野探偵はどうもスマートフォンをはじめとする携帯電子機器がお嫌いなようで、持ち歩いているところを見たことが無い。したがって何かしらの取り決め事項が存在するものとみて調査中である。
 人間様には、ソファの上でゴロゴロ昼寝をしているだけにしか見えないかもしれないが、こうして人間界に存在する不思議な出来事について思案し、解明していくのが我々の使命なのだ。この世界において、人間様にとっては当たり前でも猫にとっては当たり前でない事象がたくさん存在する。その人間と猫の間に生じる齟齬を解きほぐし、ネコの気持ちを伝えることによって和解へと導く。これこそが我ら猫又族の活動理念なのであ~る。
 そしていつも通りの日常を楽しんでいると、例のごとくお昼前になって菅野探偵が出勤して来られた。
「やあ、おはよう舞子君」
「おはようございます所長」
 まずはいつも通りに舞子さんへと挨拶。
「おう、ゴロ助。起きてまっか」
 寝ておるわい、見れば分かるであろう。
 とりあえず、今日この探偵事務所で交わされた人間の会話はこれだけである。そのあとは何も言わずに出掛けるための支度をせっせと済ませると、菅野探偵はそのまま事務所を出て行き、この日も戻ってくることはなかった。
 菅野探偵が普段どのような仕事をしているのかちょっと気になるところであるが、結果的に舞子さんと二人きりになる時間が増えることになるので、吾輩としては大歓迎である。
 さて、お次は探偵事務所での舞子さんの様子について書き綴っておくことにしよう。
 一言で総括するとすれば、彼女は地味である。舞子さんの場合、探偵事務所に到着してから仕事服に着替え、業務に取り掛かるわけなのであるが、その姿はどこにでも居るごくごく普通の事務員さんと言った感じで特筆するような部分が全くない。
 これが世を忍ぶ仮染めの姿と言うものであろう。いつぞやのネットアイドルとしての面影は全くない。黄金色に輝くフレーム付きの眼鏡が良く似合う完璧な変装である。
 静かにその姿を見つめているとだんだん別人のように思えてくるのであるが、ちょっと不安になって話しかけてみると、自宅に居るときと変わらぬ反応が返って来ていつも通りの舞子さんであることが確認できる。多い日は3回くらい確認作業を行わないと吾輩は安心して昼寝をすることが出来ぬ。それくらい探偵事務所に居るときの舞子さんは地味なのである。
 もちろん、吾輩は猫の言葉で話しかけているから、このような暴言を吐き捨てても大丈夫なわけであって、決して舞子さんに向かって人間の言葉で「地味ですね」などと話しかけてはいけない。そのような無礼な行いをした日にはどんな目に合わされるか分かったものではない。