猫の気持ち 其の二

 
   カランコロン……

 玄関のドアが勢いよく開かれると同時に、ドア上部に取り付けてあるカウベルが鳴り響く。来客であろうか――いや。呼び鈴も鳴らさずに入って来ると言うことは、所長さんとやらである可能性が高いな。
~の学校は~♪」
 足音が近づいて来ると同時に何やら呑気な歌声まで聞こえ始めてきたぞ。
の~なか~♪」
 金縁の眼鏡を掛けた中年男性が入って来た。少しお腹は出ているものの、中肉中背のごく標準的な体格である。白髪が出ているせいかちょいと老けて見える。
「やっ! おはよう舞子君」
「おはようございます。所長」
 短い会話ではあるが、今のやり取りで多くの情報を得ることが出来た。新しい飼い主の名は舞子さんで、やはり今入って来た彼がこの事務所の所長、菅野探偵のようだ。
「そ~っと~覗いて~っっ見てごらん♪」
 挨拶を交わし終えると、呑気な歌を再開しながら給湯室の中へと入って行く。
「みんなで真似ロンしているよ~♪」
 バタリと冷蔵庫の扉を開閉する音がしたかなと思ったら、何と、ビールの缶を片手に戻って来た。昼間からあっぱれな男である。
「何ですか? その変な歌」
 舞子さんは歌の方が気になっているようだ。
「知らないのかい。今世界で大流行の替え歌だよ」
「本当ですかぁ?」
「ホントの本当さ。20001パーセント自信がある!」
「そんな歌知らな~い。ねぇ、ゴロちゃん」
 舞子さんがパソコンのディスプレイ越しに吾輩の方を覗き込みながら問い掛けてくる。はて、ゴロちゃんと言うのは吾輩の名前なのであろうか。とりあえず、吾輩に問い掛けられているようなので答えておくことにしよう。
「うん、知らにゃ~い(笑)」
「ほらぁ、ゴロちゃんもそんな薄汚いヒロヒトもどきの同和チンピラなんて知らないって」
 そこまでは言ってないにゃあ。書いたけど。
「ゴロちゃんって何だい? ひょっとしてそこで寝転がってるドラ猫のことかな」
 菅野所長がこちらに振り向き、金縁メガネの奥に光る細長い双眸が上から目線でジッとこちらを見据えてくる。
「ドラ猫じゃない。ゴロちゃん」
「ふーん、舞子君が拾って来たのかい?」
「うん、さっき事務所に来たらビショビショに濡れてて可愛そうだったから連れて来ちゃった」
「へぇ、それでもう名前も付けちゃったんだ」
「さっきからソファーでゴロゴロ寝転がっているからゴロゴロのゴロちゃん。いい名前でしょ」
 ふむ、今回もまた適当な呼び名を拝命してしまったのう。これで打ち止めのトメさんみたひだ。
「ひょっとして、ウチで飼うつもりなのかい?」
「ダメですか? 事務所で一人ボッチの時とか寂しいし、前から猫飼ってみたいと思ってたんですよ。私がちゃんと面倒見ますから、いいでしょ所長」
 舞子ちゃんが哀れみを乞うような表情で泣き落としに掛かる。
「うーん、まぁ舞子君がそう言うのなら構わないけどね。費用は全部君持ちでたのむよ、僕は猫なんぞにお金は払わないからね。フフン」
「大丈夫ですよ。それくらいの費用、私が払いますから」
 菅野所長は、そのまま無言でフイッと自分の仕事机へと向かい始める。
 しばらくしてからドカッと椅子に腰掛ける音が聞こえ、机の上に置いてあったスポーツ新聞を広げると、グビッグビッと、ビールを飲みながら読み始める。
 もう吾輩のことも舞子さんのことも頭の中には無さそうであるな。
 これでは承諾してくれたのか、否なのか判然としない。
「やったねゴロちゃん。OKだってさ」
 舞子さんがニッコリと笑いながら吾輩の方にアイコンタクトを送って来た。
 ふむ、どれほどの付き合いなのかは知らないが、言葉は交わさなくても、ある程度の意思疎通はできるらしい。どうやらここが吾輩の新しい隠れ家になりそうである。
 繁盛しているのかどうかはまだ計り知れぬが、とりあえずは静かそうな場所でなにより。しばらくご厄介になることにしよう。この菅野探偵とやらもなかなかの変わり者のようであるが、探偵が変わり者なのは当たり前のことであるからして、そう驚くほどのことでもないが、観察対象としては申し分無さそうだ。じっくりと正体を暴いて行く事にしようと思うので、是非とも楽しみにしておいてほしい。
「さてと。それじゃあ私、ゴロちゃんのトイレと爪とぎ買いに行って来るんで、所長留守番お願いしますね」
 菅野所長はスポーツ新聞を読み込んだまま、うんともすんとも言わない。二呼吸ほどしてからやっと返事が返ってくる。
「――ほいよ。あー、バタッピー切れちゃったわ、タピオカドリンクと一緒に買ってきて」
「ハイハイ。ちゃんと買ってきてあげますから、ゴロちゃんと一緒に待ってて下さいね」
 菅野所長はまた無言モードに突入して見送りの言葉もなさそうであるが、舞子さんも気にする様子は無く、そのまま席を立つとスタスタと事務所から出て行ってしまった。

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