猫の気持ち 其の八


 ――お月様は無慈悲だ。我々には決してニキビだらけの背中を晒し出すことは無く、お化粧を施した顔だけを幾重にも変化させながら、我々を嘲笑うかのやうに見下ろしている。
 モザイクのようにその素顔を薄っすらと蔽っていた雲達はいつの間にか消え失せ、今やその輪郭が一点の曇りもなく露になっている。
「ホ~ホッホッホ。今日も大量のご馳走ですわね」
 思い思いに料理をつまむ吾輩達の様子を眺めながら、それで満足であると言わんばかりに雄叫びを上げる。
「どうしたんだい? こっちの料理には手を付けてないみたいだが」
「あたいはコチラのキャッビアだけで十分ですわ。ホホホホ」
「なに、人が見ているからといって遠慮することはないじゃないか君」
「そうそう、どうせ猫の言葉なんて分かりはしないさ。a ハゲ、って話しかけても呆け顔を晒したままニヤニヤしているに決まってる」
「満毒斉君の言うとおり。猫の気持ちなんて向こうで勝手に解釈するんだから、ホラ、いつも通り頭ごと突っ込んでムシャぶり尽くそうじゃないか」
「あらあら、お下品ですこと。まるでケダモノみたいね、ホ~ホッホッホ」
「何をいまさら、我ら毛モノ族じゃないかね。ハ~ハッハッハ」
「独仙君も食べ物に手を付けてないみたいだが、どこか体の調子が悪いでござるか」
「・・・・・・俗世の食い物は血が穢れる。拙者はコレで十分だ」
 そう呟くように答えると、お猪口のような小さい器に注がれた葡萄酒をペロペロとしたためている。空きっ腹に発酵酒とは、猫医学的にもなかなかの暴挙をやってのけるではないか、悟りの道かどうかは分からぬがメクラにも程があるであろう。酔った勢いで水瓶に落ちなければよいのだが・・・・・・。
 それとして、この独仙君が酒を飲む姿と言うのがまた面白い。ドラ猫のやうにベチャクチャと舌を闇雲に液面へ撃ち付けるマネはせず、舌先を柄杓のごとく窄めてはそっと液面へ差し込み汲み上げてくる。そしてそのまま溢れ出さぬうちにペチョリと上顎へと押し付け、そのままズズリと喉奥まで運んで行く。実に見事な妙技である。
「酔い良い、気に入ってくれたようだな。今日も思う存分楽しんでくれよ」
 しばらく我々の様子を眺めていた大男は、満面の笑みで満足したかのように呟くと、くるりと踵を返し、大股でのっしのっしと勝手口からレストランの中へと戻って行った。

猫の気持ち 其の七

――吾輩の記憶が確かならば。


 ネコネコ平和連合特約スーパー301条により、同胞が閉じ込められてしまった場合には、協力して速やかに是を救出せよ。
 と言った内容の条例があったような気がしない訳でも無いような気がしなくも無いのであるが、吾輩はもとより、他に行動を起そうとする者はいなひ。皆思い思いに毛繕いをしてみたり、のほほんと欠伸をしならがら同胞の帰りを静かに待ち続けるのみである。
 となれば、これは予期せぬ喜劇や運命の悪戯などと言ったものではないのであろう。予定調和の世界である。したがって吾輩も、天秤棒を振り回して舞台の役者を囃し立てるようなマネはせず、静かに時が流れるのを見守ることにしようではないか。
 月はさらに高く登り、空地をより明るく照らし出す。輝膜がキラリと煌き、六つの丸い瞳が勝手口のドアに向けて視線を注ぎ続ける。
 さて、手持ち無沙汰になってしまったのう。ここらで一句作り上げてみようかしらんと思っていた矢先に動きがあった。勝手口の向こう側に何やら毛配を感じる、アランが戻ってきたのであろうか。いや、違う。微かにではあるが確かに足音が聞こえる、コレはきっとホモ・サピエンスとか言う獰悪な生き物に相違ない。
 空き地で待つ他のメンバーにも無言の緊張が伝わる。
 警戒せざるを得ないだろう。奴等はこの宇宙で飛び抜けて野蛮な生き物である。我らを一網打尽にして水責めにする算段かもしれなひ。――アランはヤられてしまったのであろうか。
 少しずつ大きくなって来た足音がふと止まった。どうやら勝手口の所まで来たらしい、状況によっては撤収せねばならなくなってしまうが、はてさて。どんな輩が飛び出してくるのであろうか、臨戦態勢に入りジッと待ち受ける。
 ガチャリとドアノブが回る音がして扉が勢い良く、こちらへ向かって開け放つように開かれる。やはり人猿か、そう確信すると同時にヌッと大男の姿が我々の目の前に現れた。
 月明かりに照らし出された大男の姿は、我ら猫又族にとってはスポットライトを当てられた泥棒のようなもので、目を凝らさずとも容易にその詳細を視認することが出来る。履き古した感じのエンジニアブーツに濃紺色のデニムパンツ、襟元が少しくたびれた感じのネルシャツは袖を肘のあたりまで捲り上げており、熊と見紛うほどに剛毛で覆われた腕が2本生えている。顔にも苔が生えたように濃い髭がビシリと生えそろっており大自然を生き抜く野獣のやうなオーラを感じる。ところが――、
 ところがである。何故かは知らぬが頭の天辺だけは特異点が剥き出しになっているではないか、猫又族ではまずお目に掛かることはない珍種である。
「よう、猫ちゃん達よ。待たせちまったな」
 突如現れた大男は、空き地にたむろする猫達の姿を確認すると同時に野太い声で話し掛けて来た。我々の返事を待つ様子はなく、のっしのっしと歩を進めながらこちらへと向かってくる。
「いやはや、今日は随分と豪華な晩餐になりそうだねぇ」
 むむ、敵対勢力ではないのか。判断を迷っているところでポルポト君が答えを出した。
 しばし脳内回路から弾き出されていた『晩餐』という言葉が聞こえてくると同時に、吾輩の鼻孔を甘美で濃厚な刺激臭が襲ってくる。
 直ちに臭いの発生源を探索してみたところ、大男が左手に抱える大きな銀色の盆へと辿り着いた。しかしながら、今の時点では丸い銀色の底と毛むくじゃらの手しか見ることが出来ない。大男が一歩、また一歩と近づいて来るたびに、艶やかな光沢を放つ盆の上で複雑に絡み合いながらも調和を保ちつつハーモニーを奏でる複数の逸品料理達の存在が、まだその姿を見たことのない吾輩の空虚なこころを埋め尽くすように広がってゆく。
 しかるに、今吾輩のこころの中で起こっている一連のプロセスは、未知なる発見からその原理を探究し、理論を構築していく流れと同じであると言って良い。
 ――つまり、料理とは真理探究の道なのである。
「おぅ、いつもは見ない顔が混じってるな。新人君かい?」
 気が付くと、大男はいつの間にか吾輩の目の前で大の字に脚を開いた姿でそびえ立ち、大きい灰色の瞳がこちらを見下ろしていた。眼から感じ取れる表情に敵意は含まれていないようだ。
 猫の言語を理解できるとは思えぬが、問われたからには猫なりに紳士な態度で答えねばならない。とりあえず、首の裏がちょっとムズ痒いので大男のデニムパンツに擦り付けてみる。
「なるほど、お前さんの歓迎パーティと言ったところか。それなら丁度良かった、今宵の御馳走は会心の出来栄えだ、皆で思う存分楽しんでおくれ」
 何やらよく分からんが通じたようである。言い終わると同時に銀色の丸い盆がゆっくりと我々へ向かって下降してきた。人間の身体であれば自然と腰を屈めることになる、そうなれば頭をこちら側へ向けることになるので、自然な流れとして、先程までお月様と対峙していたミステリーサークルはその全貌を我々に向けてさらけ出すことになる。
 真理を探究する者の性として、吾輩はこのチャンスを逃すことなくすぐさま観測を開始する。
 そこには、もはや芸術としか言いようのない数学的に計算され尽くしたかのような境界面が存在していた。自然界にこのようなモノが天然で存在しうるのであろうか、永らく真理探究の旅を続けていた吾輩の目から見ても申し分ない。完璧な曲率だ!
「コヤツ、只者ではないな」
 思わず声が出てしまった。
「さすがだねぇ君。なかなか御眼が高いよ」
「相変わらず鼻だけは良く利きますこと。ホホホホ」
 言われてふと我に返り、お盆の方へと視線を向けなおすと、こちらにもまた芸術品と呼ばれるべき料理達が並んでいる。小鉢に取り分けられた色とりどりのオードブル、そして一際目を引くのが真中に陣取った真っ赤な鯛の包み焼きだ。
 確かにすごい、圧倒的な迫力だ。しかし、それと同時に大きな疑問も沸き起こって来る。それを問いただそうとした瞬間、それを遮るようにポルポト君の演説が始まってしまった。
「さて諸君、腹が減っては議論が出来ぬ。料理が来た所で宴を始めようではないか」
「賛成。あたいもお腹ペコペコよ」
 うぅむ、どうやら多数決では勝ち目が無いようだ。何か大切な事を忘れているような気がしないワケでもないが、ここは皆の意見に従って三大欲求の一つを満たすことにしよう。
 こうして、何やら訳の解らぬウチに宴会のようなものが始まってしまったのであった。

猫の気持ち 其の六

 毛穴咲き 吾身を枷る 朧かな。

 一句詠み上げてから今宵の舞台へと進む。
 空き地の中央は雑草と地肌が半々といった具合で、雲の切れ間から覗き込む月明かりがスポットライトのやうに真中を照らしている。
 月明かりに導かれるように、二匹の猫が空き地中央へ悠然とした足取りで進んで行く。もちろん、これは猫的に優美なありさまを表現したもので、決して二足歩行でのっしのっしと歩いているわけではないぞ。
「あたいの名前はローザ、よろしくね」
 流暢ではあるが、どことなくこの国の猫とは違った独自の雰囲気がある。
「うむ、こちらこそ。ひょっとして異国の方かな?」
「ええ、ロシアから留学に来ていますの」
 なるほど道理で、ご近所の猫達とは毛並みが違うと思った。不思議な魅惑と愛嬌あふれる様を見ているだけで、あやうく今日の目的を見失ってしまいそうになる。
「やあやあ、お二人さん。お早いお着きですな」
 吾輩が来た方角と反対側、路地に接した入口から二匹の猫影が現れた。片方は小太りの三毛猫、もう片方は相方と対照的にゲッソリと痩せ細ったサバトラ柄で今にも朽果てそうな身体をフラフラと引きずって歩いている。薄っすらと開いた眼は閉じているのか開いているのか判然としない風体だ。
「初めまして、今宵は御相伴にあずからせてもらいます」
「こちらこそ、今夜は貴君のために精一杯のおもてなしをさせてもらうよ」
「そちらの御仁は」
 痩せ細ったサバトラ猫へ向き直り話しかけてみる。
「拙者か。なに、名乗るほどの者ではござらぬ」
「ハッハッハッハ、君。相変わらず旋毛曲がりだねぇ。なに、本人がこう言っているんだ、好きなように呼んで差し上げなさい。彼とは長い付き合いなんだがね、実を言うと私も本当の名は知らないんだ」
「さようでござるか」
 猫の世界もいろいろである、のっけから変わり者に出会ってしまった。独仙君とでも呼んであげようかしらん。
「おっといけない、自己紹介がまだだったね。小生の名前はちぃーとばかし長ったらしくてね。正式な名前は、ポルフィリオ・フェルナンド・ニコラエ・シェココビッチル・スティーヴィー・フラウムラ・ストラウス・フリードリヒ・バルスコフ・メイエル・アーリエネ・ポトギエフ三世」
「え、何ですと? ポルナレフ・フェルナンド……」
「いやいや、ポルフィリオ・フェルナンド・ニコラエ・シェココビッチル・スティーヴィー・フラウムラ・ストラウス・フリードリヒ・バルスコフ・メイエル・アーリエネ・ポトギエフ三世。まぁ覚えにくいだろうからね、ポルポトって呼んでくれるかな」
「ふむ、ポルポト君ね」
「ほんと、長ったらしい名前よねぇ。もう何回も聞かされたけどとても覚えきれないわ」
「ごもっともだがね、四文字まで短縮してあげれば誰にだって覚えやすく、伝えるのも容易だろう。莫迦にでも解りやすく伝える。これが天才の芸術というものだよ満毒斎君、足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。日々の創意工夫こそが大事と言うことだね」
「なるほどねぇ、是非とも参考にさせてもらうことにするよ」
 この上から目線と意識高い系のモノ言いからして、どうやらこのポルポト君がネコネコ団とやらのリーダー核らしいな。何やら面白そうなのでしばらく観察させてもらおうか。
「おやおや、もうお揃いのようだね」
 吾輩が来たのと同じ方角。レストランの裏手からもう一匹現れた。白黒のブチ模様で艶やかな体毛は後光が差しているように見える。陽気な足取りでステップを刻みながら中央へ集結した輪の中へ切り込んで来たと思いきや、でんと真中へ陣取り吾輩へと向き直ると、何故かは知らぬがズイッとウィスカーパッドがくっ付き会いそうなくらい顔を迫り出して来た。
「やあ、ボクの名はアランチョーネ、人呼んで沈黙の料理人さ。フフフフ……」
 あまりにも顔が近すぎるせいか、お互いの鼻息で髭がプルプル揺れあう。それと同時に背中辺りの毛が逆立ってきた。本能的に何かを警戒する生体反応に思える、身の毛がよだつとはまさにこのことか。
「ホホホホ、人呼んでって。言ってるのはあなただけの自称でしょう」
 まったくもって、ローザの見解に同意せざるを得ない。沈黙と言いながら独仙君のやうな寡黙さは微塵も感じられないし、吾輩の視界を占領するこの自己顕示欲の強さは一体全体なんなのだろう。ついでに言えば、フフフフの後に続く真の意味を小一時間ほど問い詰めてやりたい気分なのであるが、吾輩は蛇に睨まれた蛙のように体が硬直してしまい声を発することさえままならぬ状況になってしまった。
「アラン、お楽しみは後に取って置いて、まずは晩餐の準備を始めてくれるかな」
「がってんだ。ちょいと待ちねぇ」
 フイと吾輩の視界から消えたと思ったら、またレストランの方へと駆け戻っていく。
 アランの後姿を眺めながら、さきほど両者が交わした行間を飛ばすような会話を咀嚼していると、何か暗黒面に包まれたドロドロとした不安が吾輩のこころの中にストンと落ちるのを感じた。鬱屈とした感情と疎外感が複雑に絡み合った言いようの無い畏怖の念が一筋の糸を垂らしながら吾輩のこころの中でどんどん膨らんでゆく。肝心なところが黒く塗り潰された売買契約書を眺めているような気分だ。
「さて、今日は何回で成功するのかしら」
 声と共にぼうっと眺めていただけの焦点を再び合わせてみると、その先にはレストランの勝手口に付いているドアノブ目掛けてアランがジャンプを繰り返している。勝手口をこじ開けようという算段だろうか。いまいちジャンプ力が足りないせいか、あと一息というところで手が掛からずにズリ落ちてしまう。猫にしては運動不足と言わざるを得ない。
「なに、今のはほんの準備運動さ、じゅ・ん・び・うん・どう」
 こちらへ何事か呟いたあと、再びドアノブを見据え身をもう一段低く構える。
 ゆっくりと息を吐きながら丹田に気を落とし、四肢に力を込めて鉤爪を地面に引っ掛けながらさらに踏ん張る。
 よし、もう一度。

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猫の気持ち 其の五


 約束の期日が来た。
 風呂から上がり、脱衣所で集会に参加するための身支度を始める。
 とは言ったものの、猫になって参加するのであるからオサレな服やアクセサリーなどは必要ない。裸一貫、髭の手入れだけで十分であるが、何分猫っ毛なので少々手間取る。頸は良く回るものの手が使いづらひ、この手ではパソコンのキーボードを打つのがせいぜいである。何事も一長一短あるものだ。
 おっと、こんなことをしていては遅刻してしまう、さっさと出掛けることにしよう。
 人間で在れば玄関から出るところであるが、猫の身体では難しいのでトイレに移動してそこの窓から出ることにした。泥棒避けの格子が付いているが、なに、猫なら簡単にすり抜けられる。スルリと抜け出してアパートの廊下へ躍り出たら、今度は階段を使って1階の玄関まで一気に駆け下りる。
 さてと、ココでまず第一の関門、自動ドアだ。ココを抜けなければアパートの外に出ることは出来ない。出るときは簡単、赤外線センサーを反応させれば自動で開くが、はたして猫の身体で上手くいくであろうか。
 センサーの照準を見定め右往左往、猫じゃ猫じゃでも踊りたい気分であるが、あまり怪しい動きをすると人間どもに怪しまれてしまうので控え目に腰を振ってみる。
 しばし踊りを続けていると、モーターの駆動音と同時にドアがスライドを開始した。よし、上手くいったぞ。人目に付かぬウチに表に出てしまうことにしよう。
 アパート前の通りへ出て一旦足を止めてから辺りを見回してる。
「おお、コレは」
 当たり前のことであるが人間のときとはまるで違う、猫の目がこれほど便利だったとは。
 夜でありながらも視界はクッキリと鮮明。それはもう毎日のやうに見慣れているはずの風景画がまるで別世界のように新鮮に感じるではないか。夜空には雲の切れ間から薄っすらとお月さんが顔を覗かせている。夕方ににわか雨が降ったものの、今は上がって道路もすっかり乾いたようだ。少し冷えてきた風が髭を撫で付けてくる。
「よし、いざ行かん」
 軽快な足取りで目的地へと向かう。当然吾輩は猫なのでお行儀良く碁盤目の道路を進む必要は無い、ご近所の庭や塀の上を堂々と突っ切って真っ直ぐ進んで行く。超人的な身体能力を手に入れた吾輩は、体長の何倍もある障害物でもヒョイと一跳びするだけで簡単に乗り越えてしまう。この軽やかさも一度味わってしまうとクセになるな。まるで月面を歩いているようで、鉄のような体を引きずって歩く人間どもが憐れに思えてくる。
 ただし車には気を付けた方が良い。ヤツらは人にあらずんば遠慮なく轢き殺しに来るし、トラックなどに至ってはジェット機が突っ込んで来るやうなもので、猫の身体だと近くを通っただけでコッチが吹っ飛ばされそうになる。慣れないうちは大きい通りを歩くのは止めておこう。
 猫の姿と共に新しい発見を楽しんでいるうちに某レストランまでたどり着いてしまった。
 今日は定休日なので明かりは点いておらず、住宅街の奥にひっそりと佇んでいる。週末なのにお休みとはなかなか根性のある店だ。まあ、目的地はこの裏の空き地なのでお休みでも問題ないのであるが、ちょっくら店の脇を通って裏手へ廻らせてもらおうと思ったその時。何やら奇妙なモノが視界に映ったのでふと立ち止まる。
 お店の入り口――。『NOIR』と書かれた看板の後ろに何か吊るしてあるようだ。
 はて、ココは洋食屋さんのはずであるが、何故か場違いな干し柿がぶら下がっている。これは一体、何かの魔よけかしらん。はたまた猫目だけに見える亡霊か・・・・・・。
 見てると何だか気味が悪くなってきたのでサッサと空き地へ行くことにしよう。
 猫だと思って甘く見たか。思いのほか店の壁と塀の隙間が窮屈で、通り抜けるときにちょっと身体が汚れてしまった。ヤレヤレ、帰ったらまたシャワーを浴びないと。
 裏手へ回ってみるとお店の勝手口があり、反対側の空き地とはブロック塀の一部が取り壊されて地続きになっている。コイツは有難いことだ。
 とりあえず頭だけをヒョイと覗かせて空き地の様子を窺ってみる。
 ふむ、もともと民家が建ててあったのを取壊して更地にしたようだ。中央は開けているが隅っこの方は大分雑草が伸びてブロック塀には蔓が張っている。
「あら、こんばんは」
 ふと、天の方から声が聞こえてきたので見上げてみると、塀の上に一匹の猫が横たわっている。
 その姿を見た瞬間。吾輩の中に眠る詩人の境地が蘇って来た。
 朧月夜に流れる黄金色の体毛、ふくよかながらマニアックな肉付きと真実を見つめる青い瞳。――可憐だ。人間であれば絵筆を取って画を一枚描き上げるところであるが、猫となってしまった今では叶わぬ夢か。
「やあ、お月さんが綺麗ですね」
「ええ、ほんとうに」
「あなたが今日の新人さん?」
「さよう、満毒斉でござる」
 月が静かに見守る中でしばし見つめ合う。長い宴の夜が始まりを告げようとしている。

猫の気持ち 其の四


 それは蒸し暑い夏の日の午後であった。
 たまには精力を付けてやろうと思い立ち、奮発して近くのレストランにてロールキャベツと壷焼きを堪能したあと部屋に戻ってきた時のことである。
 はて、いつの間にやら机の上に一通の封書が置いてある。しかも、色が真っ黒なため、資料が散らばっている机の上においても嫌でも目に付く。
 吾輩は直ちに頭をフル回転させて探偵作業に入った。まず、誰がどうやって? 最近残暑が続いていたせいもあり、エアコンを点けっ放しにしているので窓を空けた記憶はないし、吾輩の住んでいる空間はアパートの6階である。ドアの鍵はと言うと、実は瞑想に耽りながら惰性で帰って来たために、部屋に入ってくる際に玄関の鍵を開けて入ったかどうかよく覚えていない。たぶん鍵の掛け忘れはないと思うのであるが、辺りをざっと見回してみたところ、金目のモノを物色された痕跡は残されていないようだ。一応オートロック式のアパートであるし、わざわざこんなイタズラをするためだけにダブルロックを解除してまで進入してくるとは思えない、はてさて、いきなり迷宮入りの様相である。
「ふぅんむ……」
 うん、とも、にゃーともならぬ声でしばしの間悩んでみたものの結論が出る訳もなく、とりあえず、目の前に鎮座しているこの気味悪い封書の解析に取り掛かってみることにする。
 デスクチェアに腰掛けて鼻先三寸の位置で観察を開始してみると、どうやら便箋封筒のやうだ。フラップを上に向けて置かれており、端の部分はエンボス加工でレース模様の飾付けがしてある。そして中央には真黒な本体とは対照的にハート型の真っ赤なシールで封印がしてあると言った具合だ。
 お次は重量測定。右手を伸ばし指先で角を摘み、そのまま眼前まで吊るし上げてみる。ほむ、定形郵便で送れる範囲内の重量だ、別段怪しいモノが入っている訳ではなさそうである。ついでにクルリと裏返して表を見て見るとコチラも真黒、宛名はおろか、住所も郵便番号も記入されていなひ。微かにラベンダーのかほりがするが、一体全体どうやって送り付けてきたのかとんと見当がつかぬ。
 最後はX線検査を試みる。カーテンを開け、部屋中を白く焼き尽くそうと飛び込んで来る太陽光にかざす。もう夏も終わろうとしているのにジリジリと身体を焼き付けられる感覚が蘇ってきた、そのまま眼力を奮い立たせて眼前へぶら下がった黒体へと収束させる。
 ふーむ、ポストカードらしきものが一枚入ってるのが認識できる、字までは読めない。暑さで集中力が鈍るやうだ。
 ものの数十秒の作業であったが、毛穴から汗が噴出してきたのでカーテンを閉めて封筒を元の通り机の上に置きなおした。
 汗が引くまで、しばし黒い異物との対峙が続くことになる。エアコンの風が火照った身体に吹きつけ窓の隣にある通気口から蝉の鳴く声が漏れ聞こえてきた。両者ともに無言のまま微かに聞こえてくる蝉の声に聞き入っているようだ。
 吾輩の頭の中は検査結果の検証に入っている、中はいたって普通のポストカードで、劇薬や危険物が仕込まれている可能性は低そうだ。魔術式が組み込まれてる様子も無いので呪いの手紙といった類でもない、いよいよ中身を確認する必要があるだろう。
 蝉の声が止んだのを合図に黒い封筒を手元に取りあげ、一息にハート型のシールを剥がしフラップを捲ってみた。中には白地基調のポストカードが一通。外周に金色の花模様があしらってあるが、全体としては控え目でごくごく平凡なメッセージカードである。書かれている文字は日本語で、数行程度の簡潔な文章のようだ。封筒から取り出し読み上げてみる。
「拝啓、満毒斎様。貴殿の恥的探究心と無限の行動力は敬服の至りに尽きます。――つきましては今週末のサバト集会にて御相伴致したく候。お目にかかれることを一同心待ちにしております――。敬具、親愛なるネコネコ団より」
 はて、コレは一体。何かの暗号文かしらん。コネコネ団なら解らなくも無いがネコネコ団とは初耳である。ふと、裏面を確認してみたところ。
「おや」
 思わず声がでてしまったが、それは唯一の突破口になる手掛かりを発見したからに他ならない。裏面には日時と場所だけが記載されていたわけだが、その場所というのが先ほど昼飯を食べたレストランの住所なのである。(厳密にはレストランの隣の空き地になるが)
「なるほど、丁度良いな」
 研究の成果をためす絶好の機会と判断した吾輩は、完璧な猫に擬態化してこの集会に参加するのを決意したのであった。

猫の気持ち 其の三


 ――時は満たされた。


 吾輩は完璧な観測者になるべく世界各国の猫資料館へ赴き、さっそく探究を開始する。
 やはり、猫の神秘的な魅力は世界各国の知識人を虜にしてしまうようで、そこに待ち受けていたのは予想以上の膨大な情報源であった。歴史資料や文献はもちろんのこと、絵画や彫刻、文芸書などの芸術作品、はたまた宗教や哲学、科学の領域にいたるまで。
 もはやこの惑星は猫に占領されてしまったのではないかと錯覚すら覚える量であったが、これしきのことで立ち止まるわけにはいかにゃい。目を皿のようにして資料と格闘する日々が長く続いた。
 地球上では幾度も季節の花が咲き、枯れては次の季節の花へと移り変わってゆく。ぐるりと地球が一周してくればまたその繰り返しであるが、その模様は必ずしも同一な絵柄になるとは限らない。暑い夏もあれば涼しい夏もあるだろう。豊かな色彩と模様で無限に移り変わってゆく万華鏡のようなもので、似たような絵柄は一定の確率で出現するものの毛穴の数まで完全に一致するとは限らないのである。
 自称この惑星の支配者を吹聴している猿人類も似たようなもので、文化や科学技術の発達によって多少なりとも様式に変化が見られることがあるものの、カツラを取り替えただけの戦争屋が世界平和を叫びながら喝上げを繰り返す滑稽劇場が定番の見世物になっているようだ。
 このやうな野蛮猿に付き合わされるのも辟易としていたので生暖かい目で見守りながら放っておくことにして、猫と女体の神秘について研究を続けていたところ。我らの仲間を猫鍋にして食べようとしたり、偵察用のスパイに仕立て上げてみたりと、増長して迫害を加えて来るようになったので爆弾の作り方を教えて破滅寸前まで追い込んでやったこともある。――おかげで吾輩の貴重な研究資料まで焚書されてしまうところであった。
 それでも地球は回り続け、長い年月を旅したのち平和と言う名の倦怠期を迎えることになる。
 滑稽劇場は相変わらずで、猫眷属に危害を加える蛮族も未だにウロついているようであるが、象牙の塔に引き篭もっているのも飽きてきたところなので、そろそろ下界に降りて活動を開始しようかと思案していた矢先のことであった。
 とある団体から一通の連絡が入ったのである。

猫の気持ち 其の二


 さて、さっそくであるが前回の続きをちょっと書いてみようと思う。
 なぜ猫であるかと言う噺であった。
 この惑星では猫以外にも愛玩用の家畜というのは多種に存在する。数ある愛玩動物の中から、現代に適した形で人間社会に潜伏し、その生態を観察する上でもっとも合理的にその目的を遂行できる家畜とはどのようなものであろうか。
 この惑星に降り立った吾輩はまず一の問題を解決するべく、多岐にわたる愛玩種族について徹底的に研究を行ったのである。
 ちなみに、木を隠すなら森の中という考えで人間に変装してしまえば良かろうと言う考えもあるし、実際にそうしている勢力もあるようだが、これはちょっとナンセンスだ。なぜなら、この惑星に住んでいるホモ・サピエンスと言う獰悪な生き物は、自らの同朋を奴族として扱おうとする暴戻な種族であることが数々の文献や歴史調査から明らかになっている。
 これら野卑で凶暴な連中を客観的に、且つ、正確に観測するためには人として接触してはイカんのである。無用な干渉を許せば正確性に欠ける、かと言って見なかったフリをすると性格に問題ある非人として非難されてしまう。非常に困難で厄介な社会活動を形成することになるであろうが、これでは吾輩の活動する世界において看過することの出来ない忌忌しき問題を将来にわたって発生させてしまう原因にもなる。
 したがって、ホモ・サピエンスに変装するという選択肢は真先に除外した。その本質と特性を余すことなく炙り出し、正確に記述するためには別のモノでなければならない。
 そこで、猫の登場である。
 そこに在るだけで主人を魅了し、わざわざ愛嬌を振り撒かずとも自然体で人間に接触することが出来る。そして事が起こったとあらば、猫なで声で一言「にゃあ」と鳴くだけで、「なんだ猫か」「猫だからしょうがない」と言った具合に全てを許される完璧な存在――、それが猫なのである。
 観測者としてもっとも理想的な存在であり、その他の家畜でこれを超えるものはまず存在しないであろう。
 当初は長期的な研究が必要になると思っていたが、結論は意外とアッサリ出てしまった。
 個体数調査で言えば、やはり小動物系が主力であるし、隠密行動を行う上で小動物の身軽さはとても相性が良い。その中でも、やはり猫と言う存在は別格であると吾輩は確信を持つに至ったのである。
 これ以外に道はにゃい! 結論に至った吾輩はさっそく猫に擬態するべく訓練を開始することにしたのであるが、当然の如く、そこには長く険しい試練が待ち受けていた。
 そのあたりのお噺は、また次回ゆっくり話していくことにしよう。

猫の気持ち 其の一


 吾輩は猫である。ちょっとある事情があって地球と呼ばれる惑星に潜伏している。
 もちろん、猫の姿というのは仮の状態であって擬態である。なぜそのような事をしなければ為らなくなったのか、その経緯を説明しようとすれば、非常に長い経路を辿らなければならなくなるのであるが、それらを並べ立てて開示し論説しようとすると、膨大な量になるであろう知識、及びそれらに付随する概念を逐一書き下ろしていかなければならなくなり煩雑を極めることになる。
 さらに言えば、この広大無辺であるネット空間の中で、宝くじに当たるよりも低い確率であろう当サイトを探し当てることに成功し、――このポエムを偶然にも目にする事になった諸君が。苦行にも等しい労力を裂いて表明した吾輩の哲理を正しく理解し、猫と和解したうえで大宇宙の真理に従い正しく行動できるとは思いがたい。
 吾輩がこの惑星の生物を観測したかぎりでは、そんな宗教じみた小難しい事を考えるより、宝くじでも当てて美味しい焼肉を食べに行きたいと考える者の方が多いことは間違いないであろう。難しい事は猫にでもやらせておいて、美味しいところだけ莫迦でも安く教えろと言う乞食みたいな輩ばかりが暗躍しておる。
 したがって、吾輩もココでは小難しい宗教話はやめておくことにして、猫の気持ちだけを書くだけにしておこうと思う。こう書くと、猫の気持ちなどどうでも良いから小難しい話をしろと言う輩が出て来るのが世の常であり、また心理でもある。
 よかろう、そんなり知りたければそのうち小説にでもしてやろうかしらん。知ったところで1円にもならぬであろうが、心の栄養が偏り、奇形化してしまった現代人には丁度良い栄養補給になるであろう。
 ついでだから先に書いておくが、そんなモノを読んでも決して幸せになれるなどと思ってはいけなひ。多くの人にとっては、毒にも薬にもならぬような代物であるから無害ではある。しかしながら、超神水のような特性も持っているので、もがき苦しんだ末に発狂して変人扱いされたあげく豚箱行きになる輩も出てくるかもしれない。もし、その苦しみに耐え抜き、自我の発現に成功することができれば、我ら猫又族の下僕として充実した人生を送ることができるであろう。
 さて、そろそろ話を戻そうか。そう、なぜ猫なのかと言う噺であった。
 ここでまずは猫の魅力について書き下さねばならないのであるが、ちょっと前置きが長くなり過ぎてしまったので、次回ゆっくりと話していくことにしよう。