猫の気持ち 其の七

 吾輩は学園へ潜入している。名も無き主と一緒に敷地内を散策しておるところだ。

 駅の改札を出て、一本道の桜並木を二、三分ほども歩けばすぐに高原峰学園の正門へとたどり着くことができる。
 吾輩は最近になってからこの地へとやって来たよそ者であるから、この学園のことはほとんど知らない。
 正門を通り抜けると、右手側に全面ガラス張りの建物がポツンと建っている。
「あれが本部棟だぞマイケル」
 不慣れな吾輩のために案内をしながらのっしのっしと進んで行く名も無き主。一人ぼっちのときには猫でも丁重にあつかってくれるようだ。
 それにしても無駄にだだっ広い学園であるな。他にも校舎らしき建物はいっぱい見えるのであるが随分と離れた場所に点在している。決して猫になったから離れているように感じる錯覚ではないであろう、中には雑木林の中に半分埋もれてしまっている建物もある。生徒達は講義室への移動が大変であろうな。
 どの辺りから探索してみようかと沈思しておるあいだに本部棟へ到着したようで、再び空調の効いた広い空間の中へと引き連れられたのであるが、吾輩は主のリュックから頭だけを出した状態で身動きがとれないままである。せっかく訪れた学園を自由に散策させてもらうには、まだしばらくの間ジッとしておく必要がありそうだ。
 名も無き主は無言のまま、ズンズン本部棟の奥へ奥へと進んでいく。
 どうやら行く先は決まっているようであるがはてさて、いったい何処へ行くつもりかな。
 玄関を抜けた先の大広間をそのまま通り抜け、今度は薄暗い照明がついた廊下を進み始める。しばらくすると、両側の壁に貼り紙がいっぱい付けられたボード群が現れる。
 なるほど、掲示板を見に来たのであろう。ふと足を止めたかと思うと何か探し始めたようである。
「チッ、やっぱり休講じゃないや」
 残念。希望的観測も見事に砕け散ったようであるな。さぁ、大広間へでも戻ろうか。
 大広間へ戻ると、学生達がのんびりと昼の休憩を取っているが混雑はしていないようで、席はたっぷりと空いているようだ。中央付近の大型テレビが良く見える席を見つけると、ドカッと腰を下ろし背もたれへ寄り掛かってきた。
「あやや、ちょっとまたれよ名も無き主よ」
 吾輩が抗議の声を上げてからやっと気が付いたようで、あわてて前へかがみ直すとリュックを背中から降ろして隣の席へと放り出す。
「おっといけね。マイケルが入ってたんだったな」
 危ないあぶない、あやうくスクラップにされるところであった。気を付けてほしいものであるが、今はそれどころでは無いと言った様子で、すぐさまポケットからスマートフォンを取り出し操作を始める。
 さて、どうしたものかのう。スマホをイジっている主を観察していてもしょうがないであろうし、そろそろ自己解放運動を開始しても良い頃合であるかな。開放♪ 開放♪
「んー、どうしたんだマイケル。そんなにソワソワして。毛でも疼くのかい」
「まぁな。そろそろ学園内を探索してみたいのでリュックから出しておくれやすぅ」
 吾輩がまた一声上げて訴えると、リュックのジッパーを広げて出やすいようにしてくれた。
「ウチの学園は無駄に敷地だけは広いからな。女の子ばかり追っかけ回して迷子になるんじゃないぞ、マイケル」
「あいよ、ガッテン承知の助でござる」
 さて、晴れて自由の身になれた吾輩はさっそく探検に出かけることにいたそう。
 名も無き主はまたスマホの画面と睨めっこを始める。う~ん、まだまだ手間取りそうな予感がしてきた。戻ってくるまでに友達と連絡が付いて課題のプログラムを手に入れられればよいのであるが。――幸運を祈って折るぞ。
 吾輩はいったん本部棟を出て正門前の広場へと向かうことにした。
 全身に心地良い風を浴びながら外を歩いていると気分も良くなってくる。この学園は丘の上に在る、標高はせいぜい六~七00メートルと言ったところであるが、この程度の高さであっても風はヒンヤリとしていて一足先に秋の訪れを感じさせてくれるものだ。
 正門の前まで戻って辺りをぐるりと見回して見る。真正面にはお約束の石垣で囲まれた池があった、ちょいとのぞいてみようかしらん。
 石垣の上にひょいと飛び乗って池の中をのぞいてみると、いたいた。
 毒味役の鯉や鮒がたくさん泳いでおられる。お魚さん達はわが者顔で悠然と泳ぎ回っており、吾輩が石垣の上から歩いて近づいて来ても一向気にかける様子は無い。それは当然のことで、池の周囲にはあちこちに”釣り禁止”の看板が立てられているのだ。したがってお魚さん達は外敵に襲われる心配をする必要もなく、のんびりと池の中で生活する事ができるのであった。
 この池の魚であれば、猫になったばかりの吾輩でもたやすく仕留めることが出来るであろう。しかしながら、吾輩はいくら空腹であったとしてもこの池のお魚さんを生け捕りにして食べるのはやめておこうと思う。
 何も知らないお魚さん達は、とてもとても幸せそうであった。
 お次は何処を巡回してみようかと思い、ふと顔を上げて見ると、ちょっと興味深いものが視界に入ってきた。
 ちょっと離れているが、丁度正面のほうに見える校舎のベランダに学生達がたむろっている。そして、生徒達はみな制服を着ておるではないか。
 はて、ここは大学だとばかり思っていたのであるが、征服を着た生徒達が居るということは・・・・・・付属高校か専門学校という事であろうか。
 となれば、あそこに見える生徒達は『JK』と呼ばれる種族であることは間違いないであろう。こいつはがぜん興味が沸いてきた。とある情報筋から得た情報なのであるが、この『JK』と呼ばれる種族達は流行モノや猫が大好きであると言うことだ。
 ここから確認出来る範囲では、衣替えはまだのようで全員夏用の制服を着たままである。うむ、今のウチに一度偵察を行っておいた方が良さそうであるな、さっそく行ってみることにいたそう。
 石垣から降りて、グルリと時計回りに池の外周を回り込みながら進んで行く。所々に設置されたベンチでは木陰でくつろいでいる学生もおるようだ。
 池を進み終えると歩道には入らずにそのまま雑木林の中を進むことにした、何分距離があるので出来るだけ真っ直ぐに進めるルートを選択する。
 しばらく進んで行くと、またコンクリートで固められた敷地が現れる。うまい具合に玄関口へと出ることが出来たようである、とりあえず人の気配が無いうちにさっさと中へ入ってしまおう。
 中へ入ると、下駄箱の列がズラリと規則正しく並んでおられる。そのままさらに奥へと進んで廊下へ出てみたのであるが、学生はおらんではないか。はて、まだ昼休み中のはずであるのだがのう、しかたが無いのでそのまま当ても無く廊下を奥へと進むことにした。
 何も気にせず奥へ進んで行くと、殺風景な視界に異変が現れる。窓側の壁にガラス張りのショーケースが表れ、中にはトロフィーや盾がところ狭しとひしめき合って飾られている。反対側の壁には額に入れられた賞状も……。
 これはちょっとイヤな予感がして来たなと思った矢先、思わず足を止めてしまった。
 10メートルほど先にある部屋の入り口に表札が出ている。職員室とな、うむ、今の時間は中に教職員が大勢詰め寄っている可能性が高いな。ここはひとまず退却したほうがよさそうだ。
 吾輩は踵を返し、下駄箱のある所まで戻ることにした。
 下駄箱の前で左右を確認してみると、右手側に階段が見える。よし、ひとまず先に二階から探索してみることにいたそう。
 階段を上って一気に二階へと駆け上がろうと思っていたのであるが、意外と猫の体は不便なもので中々上手く駆け上がれない。一段ずつジャンプしながらピョコピョコ不恰好な動きで階段をよじ登る。無理に駆け上がろうとすると鼻先をぶつけてしまいそうで怖い、ちょっとイヤらしい階段だニャ。
 何とか踊り場までたどり着いて小休止していると、階上から男子学生が降りてきた。
 やっと学生に会えたと思いきや、まるで吾輩を踏み潰そうかと言う勢いでこちらへと突進して来るではないか。
 吾輩はすぐさま横へ飛び退き、間一髪のタイミングで男子学生をかろうじてかわすことができた。危ないのう、歩く時くらいはスマホをしまってはどうであろうか。
 気を取り直して再び階段を上り始める。最近の子は便所の中でもスマホをイジっているに相違ない、気を付けなければ。
 やっとのことで二階へたどり着くと、一旦壁際へと身を寄せ、少しずつ進み出ることにする。そして、探偵のように頭だけをひょっこり覗かせて教室が連なっているであろう廊下を盗み見る。
 すると居た居た。男女入り乱れて学生さん達が昼休みを楽しんでおるようだ。
 そして、坊主が頭を剃るのが当たり前であるように、全員見事に手からスマホを生やしておられる。
 さてさて、どうしようか。このまま堂々と廊下を練り歩いて行っても、案外誰にも気付かれずに校内を探索できるやもしれぬ。尤も、吾輩は猫に変装しておるのだから見つかったところでどうと言う事はないのであるが……。
「あーっ。ニャンコだ!」
 廊下の様子を窺っていると今度は背後から女の子の声が飛んで来た。
 そのまま顔を真上へと振り仰いでみると、ポニーテールかオバテールか判然としない微妙な具合の女子学生が吾輩を見下ろしておる――メガネは無しか。
「猫だー。猫ちゃんがいるー(笑)」
 先ほどから猫じゃ猫じゃと喧しいのう。吾輩は完璧な猫に変装しておるのだから猫に見えるのは当然であろう。コレが瞼の爛れたガチャピンブルドッグにでも見えると言うのか、えぇ? ニャメたことを言っておると地球から排除してやるぞなもし。烈風毛とレインジングストームどっちがお望みかえ。
「何でこんな所に猫さんが居るのかなー?」
 有無を言わさずに吾輩の両脇を抱えると、そのまま宙ぶらりんに担ぎ上げられてしまった。
 熱気だけで生きているような十代に説法を解いても無駄であろうかのう。何処に居ようがそれは猫の勝手であるぞなもしと言ってやりたいところであるが、吾輩の抗議を聞く気はさらさら無いようで、さらに質問責めが始まる。
「ハーイ、猫さん。あなたはいったい何処からやって来たんですかー」
 おぉっと、そいつは禁則事項と言うやつであるなぁ。答えることは叶わぬ、ニャンドロメダと言う事にでもしておこうかしらん。
「そっかあ。きっと私のことが気になって会いに来てくれたんだよね、きっとそうに違いないわ」
 あぁはぁ? 何を言っておるのかのうこの子は。ちっとばかし変な子に捕まってしまったかもしれないのう。
 女子学生は吾輩の意思などお構いなしと言った具合で、吾輩を抱えたまま小走りに進みだした。一体何処へ向かうつもりであろうか――まさか。
 吾輩を宙ぶらりんに抱え上げたままズンズン廊下を駆け抜けて行く、すれ違う生徒達が吾輩の姿を見て目を点にしている。そんなに猫がめずらしいのであろうか。
 しばらく真っ直ぐ進んでいたところで、突然向きを90度回転させると教室の中へと飛び込んでしまった。あぁ、イヤな予感がしてきたなぁ……。
「ねー、見て見て。ニャンコ捕まえて来たw」
 掛け声が教室に響きわたると同時に、周りに居た生徒達が一斉にこちらへと向き直りゾロゾロと集まって来るではないか。そして吾輩は、でんっ、とその辺りの机の上へ仰向けに寝転がされてしまった。も少し丁重に扱ってもらえぬものかのう。
「何ーこの猫。目つきわっるぅww」
「何処から紛れ込んで来たんだろ」
 好き勝手な言葉を並べながら品評会が始まってしまったようだ。こうなってしまっては仕方がない、十代の熱気に翻弄されるがまま、しばらくの間はなすすべもなくゴロゴロとしておるしかないであろう。あーコレコレ、お股開きの刑はやめてほしいニャ。
「雄だー、雄ニャンコだねー」
 なぜかスマホを取り出して撮影を開始する者が居る。基本的猫権の尊重と言う物を知らないのであろうか。
 吾輩は猫である。猫なのは見てのとおりなのであるが、別段変わった猫と言うわけではないだろう。何処にでもいるような普通の野良猫である。耳が一個しかなかったり、眼がハート型だったりするわけでもない、ただの猫である。しかしながら今、吾輩は学園と言う特殊な空間の中で、まるで宇宙人でも発見したかのような熱狂に包まれておる。普段は街中で見かけても邪魔くさそうな目で睨み付けながら唾を吐きかけてみたり、魚屋の前で見つけようものなら天秤棒を振り回して便所の中まで追っかけて来るであろうに、いやはやニンゲンと言う生き物は時として理解不能な行動をとり始めるものである。
 この集団真理の根源が何処から沸き起こってくるものなのか。大いに研究してみる価値があるものと改めて再認識した次第である。
 しばらく流されるがままに身をまかせ、玩具のように弄ばれていると鐘の音に似た予鈴が鳴り始めた。そろそろお暇させてもらうことにするかのう。
 吾輩はくるりと起き上がり、机から飛び降りると廊下へ向かって走り出す。
「猫ちゃん帰るの? またねーw」
「ハイハイ、またねーでござる♪」
 先生方に見つかって隔離されてしまうと厄介であるからのう、手早く撤収することにいたそう。
 廊下へ出ると、来た時とは反対の方向へ走り抜けることにした。さて、お次は何処に行こうかなと走りながら思案してみたのであるが、ちと名も無き主が気になってきた。一旦本部棟に戻って様子を見てみることにしようかのう。