猫の気持ち 其の六

 吾輩は電車に乗っている。円天舞う空の中を主と一緒にのんびりと旅をしているところだ。

「どうだぁマイケル。これが電車って乗物なんだぞ、スゴイだろ」
 ふむ、小学生ではあるまいし、何がスゴイのかもう少し具体的な説明がほしいものだのう、吾輩はエスパーではないのでな。ついでに言えば、お主が土を掘り起こして線路を引いたわけでもあるまいに、自分で拵えたかのごとく振舞う理由も教えて欲しいところだ。
 こんな呆け経に洗脳されてしまったような主でも主には違いないので、ちょいと尻尾をゆらゆら揺らして敬愛の意を表現してみることにした。
 すると満足してくれたのであろう、お多福のやうな満面の笑みを浮かべるとズボンのポケットからスマホを取り出していじり始めた。
 おそらくは課題のプログラムをコピーさせてもらうために同級生と連絡を取っているのであろう。学園へ到着するまでにはまだ時間がある、吾輩は主の横で丸っこくなりながら終点に着くまで一眠りしようかと思っていたときである。
「あぁ、ふざけんなよぉ」だとか「ちーがーうーだーろー」とか「○△×~」と裏声でヒトモドキのような笑い声を上げると、スマホの向こうに居るらしい見えない敵と戦い始めてしまったではないか。これはちょっと煽て過ぎてしまったかのう、変なスイッチを入れてしまったかもしれにゃい。
 しかしながら、観察しているぶんにはなかなか愉快なので、このまま生暖かい目で見守ることにしよう。


 電車は丘の上にある学園へと向けて螺旋状に旋毛を巻きながら進んで行く。
 ほとんど学生しか使わないので、四両編成のこじんまりとした列車となっている。電動化されてはいるものの、車内は全席向かい合わせのボックスシートで昔ながらの雰囲気がそのまま残っているせいか、一見すると何処かへ旅行にでも行くかのように思われそうだ。
 途中に三つほど停車駅があるのだが、二つ目の停車駅で一人の中年男性が乗り込んできた。肩掛け式の大きな荷物袋を抱えており、動き出した電車に煽られながらフラフラとこちらに向かって歩いて来る。
 午後の時間帯と言うこともあってほとんど空席だらけなのであるが、吾輩と主が座っている席の横でピタリと動きが止まった。
「おとなりよろしいですかね」
 名も無き主はスマホから目を放し、声のする方へと振りかえる。
「た、立鼻先生!」
 どうやらお知り合いのようであるが、返事を待たずして了解したかのごとく荷物袋をドサリと向かい座席に放り出すと、通路側の席にポスリと座り込んだ。
「大きな荷物ですね。今帰って来たんですか」
「ええ、今しがた那恋の温泉旅行から帰ってきたところです」
 ようやく肩の荷が降りたと言った感じで安堵の息を吐きながら答える。主より一回り小柄な男性であるが、中年の割にはそれほど腹は出ておらず端整な印象を受ける。そして、こちらもまた探偵じみた金縁の眼鏡をかけておる。
「ずいぶんと長い逗留でしたね」
「濃縮蜂蜜みたいな作品ですからねぇ。なかなかに骨が折れますよ」
「いっそのことそのまま住み着いてしまえばよかったんでは?」
冗談ではない」    マタコサーン
 この立鼻と言う男性は、主の通う学園において芸術の科目を担当しておるらしい。何やら絵を描くことを生業としているらしく、いわゆる美学者と呼ばれる人種なのであるが、この美学者と呼ばれる輩はどうも一癖ある者が多い。
 吾輩の先輩もさんざん手を焼かされたものであるが、この美学者と呼ばれる凶悪な人種は、自ら焼き上げた壷を「出来損ないだー!」と叫びながら床へ叩きつけて破壊してみたり。料亭でタダ飯を食べておきながら、アレやコレやと難癖を付けて批評してみたりと、およそ凡人には理解不能であろう奇行を繰り出すのが一大特徴である。もしも出会う機会があったなら存分に注意した方が良いであろう。尤も、芸術の道を極めるためにはこれくらいの狂気が必要と言うことなのかもしれないにゃ。
「しばらくご無沙汰でしたが、そちらの方はどんな感じですか」
 金ピカの眼鏡を輝かせながら、今度は立鼻先生が問い返す。何となく探偵に尋問されているような気分になるのは気のせいかしらん。
「え、ええ。絶好調ですよ。今日も円天と株で一稼ぎしてきたところです」     ププッ
「それはよかったですねw」
「あ、そうだ。先生にちょいとお願いがあるんですが」
「何です?」
 リュックの中をしばらくまさぐると、一尺ほどの金色の像を立鼻先生へと手渡す。
「そいつを鑑定してもらえませんか」
 立鼻先生。金色の像を眼前まで持ち上げると、眼鏡の奥で探偵じみた審美眼を輝かせ直ちに鑑定へと入る。
「いかがでござんしょ。近所の骨董屋で見つけた掘り出しモノなんですが」
「う~ん、ずいぶん安っぽいマリア像ですね。地金が透けて見えちゃってますよ」
「先生が変なスイッチを入れるからでしょ(笑)」
 しばらくの間クルクルと像を回して見たり、台座の裏を確認してみたりと、熱心に鑑定作業を続けていた立鼻先生であるが、三十秒ほどであっさり終了すると、再び像を主の方へ差し戻した。
「まぁ、家に飾っておく分には問題ないんじゃないでしょうかね」
「そうか、無念。カトリックの彼女にプレゼントしようと思ったんだけど」
「速攻でゴミ箱行きでしょうなw」
 目利きに自信があったのであろうか、名も無き主は思いのほかションボリと落ち込んでしまった様子である。


 電車はそんな二人のやり取りを意に介することなく、黙々と目的地へと向かって突き進んでゆく。主の家を出たときには遥か上空へ見上げるようにそびえ立っていた雑居ビル群も、今や眼下へと拡がるミニチュア模型のようだ。
「いやあ、やっぱり田舎の電車はのんびりとしていて落ち着きますね」
 窓の外を眺めていた立鼻先生が誰に言うでもなく、独り言のようにポツリと呟く。
「まったくですね、都会の電車なんて最悪ですよ。客なんて畜生と等しき扱いですからね、すぐに混雑して鮨詰め状態になるし窓すら開きませんから。いや、実際はちょっとばかし開くようになってるんですがね、むやみやたらと勝手に開けようものなら周りから白い目で見られて大変なことになります」
 口ではこう言うものの、名も無き主はまだ歳が若いせいか、週末になると満員電車に乗って夏葉原へと向かい、おびただしい数の人々が溢れる歩行者天国を一日中歩き回っても存外平気な顔をしているタイプだ。集団の中に埋もれているとなんとなく安心できるものである。
「都会の息苦しさを反映しているものと思われ」
「・・・・・・最近生え際がヤバくなってますね」
「髪に見放されたんでしょうw」
 この立鼻先生は、あまり都会の雑踏が好きではないようで、先ほどから興味無さげな感じで外を眺めたまま、かろく受け答えするばかりである。
「それにしても今日は暑いですね、窓開けてもよござんすか」
「どうぞ」
 立鼻先生に了承を得ると、窓際に座る主が席を立ち窓を空けにとりかかる。上下二分割のスライド式なのであるが、この車両に採用されている窓はちょっと面白い。主が両脇に付いている摘みを持って下側の窓枠を持ち上げると、それに連動して上側の窓枠もスルスル降りてくるではないか、こうして上下に三寸ほどのスリットが出来上がった。なかなか良く出来たカラクリ窓である。
 まだ強めの日差しと今一つ効きが弱い空調機のおかげであろうか、草木の臭いが染み込んだ心地よい風が車内へと流れ込んできた。
「う~ん、心地よい風ですね、一曲歌いたい気分になってきます」
「お題目は?」
隠し子と恋に堕ちるプリンス
「際どいネタですなw」
 そしてお風呂場で上機嫌になったおっさんの如く、立鼻先生が鼻歌を披露しはじめた。
「天に~唾する~愚か者~♪」
「落ちる~ナイフに~昇竜拳♪」
 替え歌かどうかは知らないが随分とのんびりとした唄であるな、吾輩もついつい尻尾を振って音頭を取ってしまう。
 しばらくの間、御経のような替え歌に興じていたのであるが、三つ目の駅に到着する頃になり、車掌案内が流れ出すのを合図にピタリと止んでしまった。そして、思い出したように立鼻先生が新しい話題を振り出す。
「そろそろお腹が空いて来ましたね。お昼にしましょうか」
 今度は立鼻先生が大きな荷物の中をまさぐり始める。しばらくするとお目当てのモノが見つかったようで、両手に何か掴みながら主の方へと身を乗り出してきた。
「お一ついかがでしょう」
 主の眼前に差し出された両手には、砲丸投げの玉みたいな黒い塊が一つずつ乗っている。まるで爆弾のようだ。
「これは、幻の爆弾おにぎりじゃないですか」
「ええ、運良く最後の二個を買うことが出来ました。遠慮せずに一つどうぞ、何かの暗示が与えられた疑いを防ぐために、中の具については秘密にしておきます」
「ではお言葉に甘えて一つ頂戴します」
 ここまで言われたら断る理由もないであろう。名も泣き主はどちらのおにぎりを取るであろうか、しばし悩んでいるようにも見えたが、意を決したように左のおむすびを手に取った。一瞬、立鼻先生が口の端をゆるませ含み笑いを見せたような気がしないでもない。
 こうして、主にとっては二度目の昼食会がはじまる。
 名も無き主は、先ほど昼飯を済ませたばかりであるからだろう。窓枠に肘を付いて、外側の海苔巻きをチビチビとやっつけておる。
 対して立鼻先生の方はと言うと、パワーショベルで山を切り崩すがごとく、モリモリと無言でおにぎりの中心部へと食い進んでゆく。まさに痩せの大食いといった感じだ。
 しかしながら妙な男である。美学者を名乗るわりには、海苔の風味や塩加減のバラツキ、お米の食感を楽しむと言った趣きは感じられない。
 見た目こそ初老の男性であるが、おそらく中身は齢八〇〇歳くらいの宇宙人が成りすましているのであろう。食の楽しみはとうの昔に失われてしまったようで、ただただ、エネルギー補給と言う目的を達成するために、無表情のままおにぎりを噛み潰し、胃袋へと流し込んで行くだけの作業である。
 しばらく立鼻先生の作業を無心のまま眺めていると、突然と動きが止まった。いよいよお宝を掘り当てたのであろうか、口先を窄めて何やらモゴモゴしているなと思いきや、次の瞬間にわかに信じがたい行動に出る。
 立鼻先生、思い出したように名も無き主の方へと振り向くと、プッっと毒矢でも吹き出すようにして丸っこい物体を吐き出したではないか。
 吐き出した小指の先ほどの物体は、名も無き主の口先三寸をかすめて、窓枠との間にわずかに空いている狭いスリットを抜けて外の世界へと飛び出してしまった。
 一部始終を見ていた吾輩はまだしも、名も無き主にとっては完全に不意打ちだったようで。一体全体何が起こったのか分からぬ様子で、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして呆然と窓の外の方を向いておる。
 やはり美学者と言う輩は一筋縄では行かぬようであるな。
 吾輩は用心して注視しておったので、吐き出した物体の正体を辛うじて視認することが出来た、どうやら梅干の種のようである。よほど腕に自信があるのであろうか、一歩間違えば名も泣き主を直撃して大変なことになったであろうに。当の本人はと言うと、何故かは分からぬが、吾輩の方を見ながらしてやったりと言った様子でニヤニヤとしておる。
 そして、ようやくイタズラの犯人が立鼻先生であることを認識したのであろう、名も無き主がゆっくりと立鼻先生の方へと向き直る。毒饅頭でも食らったような顔をして立鼻先生を見詰めるのであるが、相も変わらず立鼻先生。挑発するようにニヤニヤしながら名も無き主を見詰め返すだけである。しばし無言の対立が続く。
 しかしながら、このままでは物語が進みようがないので、吾輩が一肌脱いで二人の心の中を読み取って見ることにしよう。
 立鼻先生は、もとより何を考えているのかよく分からないのでひとまず置いておいて、名も無き主の方からだ。しばらく呆け顔をさらしておった主ではあるが、心の中では闘争心に似た烈しい感情に火が付いたようで、窓枠から肘を放し姿勢を正すと、立鼻先生が先ほどやっていたように爆弾おにぎりにかぶり付き、中心部へと向かって食い進み始めた。
 爆弾おにぎりの中心部には同じ秘宝が眠っている、そう確信しているのであろう、目を三角にして親の敵のような形相で無我夢中に食い進める。もはや食事と言う概念は吹き飛んでいる、この名も無き主はおにぎりを掘っているのだ。
 そしてガチリと手ごたえを得た。
 口をモゴモゴさせながら立鼻先生を見つめる。対する先生は、薄い笑みを浮かべながら無言のまま、一部始終を見守るつもりらしい。
 種以外を胃袋へと押し込み、準備が出来たのであろう。窓の方へ顔を向けると先ほどの立鼻先生と同じように、吹き矢のごとく種を弾き出した。
 全神経を集中して種の軌跡をおう。弾き出された種はスリットを抜けるかと思いきや、窓の縁に当たり跳ね返ってしまった。さらに、勢いの余った跳弾は窓硝子にブチ当たり、弧を描くようにして隣座席の方へと飛んで消えてしまった。
 あいや残念。ポテンシャルの差を埋めることは出来なかったようである。
 幸いなことに、隣の座席には誰も居なかったので何事も無く済ますことが出来たが、危ういことをする主だのう。
 立鼻先生の方は、危うく梅干の種がぶつかるかもしれなかったのを気に留める様子もなく、「それ見たことか」と言わんばかりにニヤニヤしながら名も無き主の方を見つめている。
「おや、投資のようには上手く行きませんでしたね」
 立鼻先生が一言放つや、名も無き主もこのままスゴスゴと引っ込むワケには行かないようで、負けじとすぐさま反駁を開始する。
「いやぁ、さすが先生。お見事なもんでございやすね。どうです先生も一口、投資でもやってみては。先生ならあっと言う間に億トレーダーになれますよ」
 ここで一旦、立鼻先生がどう出るのか待ちたいところであるが、この名も無き主と言うのは、どうも頭に血が昇ってしまうと思い付いたことをそのまま吐き出してしまわないと気が済まない性分のようで、返事を待つことなく噺を続ける。
「実は僕だけの秘密にしておきたかったんですが、今人気急上昇中のネット投資家が居るんですよ」
 立鼻先生が食い付いて来るかどうかはどうでも良いようで、名も無き主は、詐欺師のような語り口で自身の演説へと没頭して行く。
「それでですね。面白いのはそのネット投資家の投資手法なんですが、その人が買い注文を入れると暴落、売り注文を入れると爆上げしてしまうんですよ、何故かは知りませんが。そのクセ投資系ナンバーワンを名乗っているんだから笑えるじゃありませんか」
「なかなか面白い人ですね。投資ですか、実を言うと私もそれなりにやってますがファンダメンタルとかテクニカルだのと、いろいろ複雑な要素が絡んで来るのでなかなか上手くは行きませんね」
「ファンダやテクニカルなんて何の役にも立ちませんよ、ただの後付ですから。そんなのばかり気にしているから初心者はいつまで経っても勝てないんでござんす。そんなのをアテにするくらいなら“しいたけ占い”で上か下か判断した方がよっぽど勝率が上がりますよ」
「し、しいたけ占いですか。なかなか斬新な投資手法ですね」
 吾輩もそのような投資手法があるとは初耳である。
「実は、そのネット投資家こそ“しいたけ占い”の第一人者なんですよ。本当はオイラだけの秘密にしておきたかったんですが特別に教えてあげますよと。どうです、そのしいたけ投資家の逆張りをしてごらんなさい。面白いように勝てますから」
「ハッハッハ。有難い申し出ですが遠慮しておきますよ。私は天の声にしたがって取引するだけです」
「て、天の声ですか! 先生、それってしいたけ占いよりよっぽど斬新ですよ」
「そうですかね?」
「いやいや、そうでしょう。そんな取引手法聞いたことありませんよ、どうやるのか是非とも教えてほしいでござんす。先生みたいに毎日お題目を唱えていれば、オイラにも天の声とやらが聞こえるようになるでござんすか」     アハーン
「貴方には聞こえて来ませんか?」
「いえ、全然。オイラも友達に誘われて公明学会とか言う所に入ったことがあるんですが、財務ばっかりタカって来て功徳なんてこれっぽっちもありやせんでしたよ」
「そりゃアレでしょう。インキンお笑い芸人なんぞをとか言って煽て上げたり、ただのカラーコピーなんぞを有難がってナムナムTEENとかやってたからじゃないですかw」
「SGI48のCDじゃダメなんですか!? そんな馬鹿な……」
 さすがに阿呆すぎて解説する気も失せる。――立鼻先生は慈悲的な対応でそれとなく教えてあげたつもりなのであるが、名も無き主はこの期に及んでまだ気付いていないようである。そもそも、この男は宗教に対してとんでもない勘違いをしているのであるが、その事を指摘してあげても聞く耳を持つことはないであろう。
「そんなに聞いてみたいですか?」
「ええ、そんなもんが本当にあるならぜひとも聞いてみたいでござんすw」
 さて、馬の耳に念仏を唱えるほど暇ではない立鼻先生。困窮した面持ちで窓の外を眺めていたのであるが、しばらくして、ふと独り言のように何かを呟いた。
宇宙の地獄穴――ですか」
「え、何の穴ですか?」
「いえ、何でもない。ただの独り言ですよ、似ているなと思ってね」
「何が似ているんでござんしょ」
「真理探究ですよ。ホラ、あそこに見えるのが何か知っていますか?」
 名も無き主も、立鼻先生につられて窓の外の景色へと視線を投げ移す。
「園原炭坑跡ですね、今はもう使われていませんが」
「君は鉱山に潜ってみた経験はありませんかね」
「ありませんけど。それが真理探究とやらと何か関係があるんですか?」
「あるも何も、ソックリですよ。まるで迷路のように張り巡らされた坑道、常に纏わり付く孤独と挫折感。一歩道を踏み外して迷子になったが最後、もう二度と日の当たる場所には戻れないかもしれないと言う不安と恐怖に苛まれながら、薄暗い闇の中を延々と彷徨うはめになる。運が良ければ原石を掘り当てられるかもしれないが、一生掘り続けたって何も掘り当てられない人もゴマンと居る。そんな場所ですよ」
「世知辛い世界ですね……」
「別に君を脅かそうってワケじゃありません、経験者として率直な感想を述べただけですよ。どうです、君も潜ってみては」
「ぼ、僕がですか」
 あくまで例え話なのであるが、すっかり怖気づいてしまった様子の名も無き主。先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は何処かに吹き飛んでしまったようである。
「僕はそんなリスクを犯す気はサラサラ無いけど、掘り当てた原石だけ寄越せってのはちょっと虫の良すぎる話じゃありませんかね。そもそも、この錬豆は私が掘り当てたものですから、君に渡したところで何の価値も無いただの石コロにしかならないんですよ。待てないんだったら自分で掘りに行けば良いじゃないですか、誰も邪魔したり咎めたりはしませんよ」
「む、無茶苦茶ですね先生。僕は物理学専攻じゃありませんよ」
「さっそく言い訳ですか。えぇ? 穴を掘るだけならランプとツルハシがあれば出来るでしょう。小難しい方程式を解く必要なんてコレっぽっちもありませんよ、用は道具の使い方が理解できていれば良いんです。鍛冶屋にならなければ刀を扱うことは出来ないんですか?」
「じゃあ、僕にもチャンスがあるんですね」
「当然でしょう。でも、易しくはありませんよ。錬豆を掘り当てるか、宇宙じらみになるかは貴方次第と言う事です」
 この名も無き主が潜ってみたところで、猫鷲に襲われ精神を蝕まれたあげく発狂して宇宙じらみへと落ちぶれるであろうことは分かりきっておるであろうに。なかなか性悪な男であるな。
「なぁに、大丈夫ですよ。訓練が十分でない初心者や精神の未熟な者は、表層部の思考迷宮ですら辟易として逃げ出しますから。そして自分を慰めるように『アインシュタインはインチキだったんや!』って騒ぎ始めるでしょう。猫鷲がウロついている深淵部に迷い込むことなんて滅多にありゃしませんよ」
 名も無き主は、焦点の合わぬ虚ろな目で下を向きながら黙りこんでしまった。すでに彼の意識は電車の中には存在しない、命綱なしで清水の舞台から飛び降りるような心境になっておる。
「さぁ、どうです。さっそく今日から潜ってみてはどうですか」
「ぼ、僕は・・・・・・」
 さあ、名も泣き主よ! 英断を下す時であるぞ。
「僕は、覚醒ゴッコに失敗してエロサイトを彷徨うHentaiにはなりたくないでござんす」
「君はエ・ロースの素晴らしさを何も分かっていませんね。とんでもない勘違いをしているようです」
「そ、そそ。そうなんでしょうかぁ??」

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