猫の気持ち 其の二


 吾輩は異世界転生した。ここが何処であるのかとんと見当がつかぬ。
 とあるアパートの一室を徘徊しながら捜査を続けているところだ。
 お世辞にも広いとは言い難いリビングはじつに殺風景なもので特に吾輩の気を引くような物は無いように思われる、ベランダと反対の方角は真っ直ぐに廊下が続いており、玄関が丸見えだ。まずはこちらから調べてみることにしよう。
 廊下へ入ると左手にキッチン、その先に左右1つずつ扉がある。片方は小さな光窓が付いているのでおそらくトイレであろう、中に人は入っていないようだ。もう片方はありがたいことに開け放しにしてある、開ける手間が省けて大変ありがたい、さっそく奥を覗いてみると洗濯機が置いてある。どうやら風呂場のようであるな、こちらも人影はないようだ。
 さてと、踵を返して一旦リビングの方へと戻ることにしよう。
 廊下から戻り左手を向くと東側の壁に大きな引き戸がひとつ、おそらくは寝室であろうが残る部屋はココだけだ。
 少々骨が折れる大きさであるがここまで来たからには秘密の花園を覗かぬわけにはいくまい、まずはきっかけ作りのために爪を引っ掛け揺さぶりをかける。
 しばらくジャブを続けていると、かろうじて脚が入るくらいの僅かな隙間が出来た。
 よしよし、良い感じだ。
 お次は出来上がった隙間に両前足を突っ込み、やさしく中をかき回す。
 するとどうだ、今度はゲンコツくらいの大きさまで拡がった、ここまで来ればもうこちらのものである。
「ちぇぇストォー」
 気合と共に頭を突っ込み、体全体を使って隙間の中へ中へと押し込んでいく。
 これが映画などであれば、さぞかし無様な格好を晒して物笑いの種になるのであろうが、幸いなことにココは妄想ポエムの世界であるから誰にも見られる心配はない。
 肩のあたりまでねじ込むと、あとはスルリと抜け出ることが出来た。
 引戸を抜けると右手にパイプ式の折りたたみベッドが見える。
 我輩はベッドの下に潜り込みながらあたりの様子を観察してみると、窓際の方に人影を発見した。
 キャスター付きの椅子とスリッパを履いた足が二本見える。しかしここからでは足元しか見えぬのう、もう少し近づいて見ることにしようか。
 ベッドの下から顔だけを覗かせて名も無き主を見上げて見ると、そこにはヒョロりと痩せ細った青年が椅子に腰掛けていた。髪は短く刈り上げており、頬には薄っすらと無精髭が生え揃っておる。生やしたいのか生やしたくないのか判然としない中途半端な伸ばしかたで、いかにも最近流行と言った感じの女々しいスタイルだ。
 何やら液晶画面と睨めっこをしているため正面を確認することができないのであるが、どこぞの美学者よろしく縁無しの長四角レンズに猫の足でも踏みつければポッキリと折れてしまいそうな細長いフレームの眼鏡を掛けており、夜な夜なCIAのデータセンターにハッキングを仕掛けていそうなオタク臭が立ち込めている。
 なんだ、合っているのはオタクと眼鏡だけかい。――やれやれ、吾輩は失望した。
 仕方にゃい、取りあえずはお腹が空いてきたところなので、二日酔いによく効くカリカリとミルクを恵んでもらうことにしようかのう。
「やぁ、おはよう。名も無き主よ」
 ベッドから這い出て声を掛けると、ようやく吾輩が部屋に入ってきたことに気が付いたようで、人間工学の粋を集めたらしい奇怪な曲線であふれる椅子をクルリと回し、正面を向き直りながら見下ろしてきた。
「やあ、マイケル。やっと起きたのかい、もうお昼前だよ」
 マイケル? ずいぶんと安っぽい名前をつけてくれたものじゃのう、せめてタイタンかエウロパくらいにはならんかったものであろうか。
 まあよい、とりあえずは御機嫌をとって遅めの朝ごはんにありつくことにしようか。食らうがよい、腹見せ攻撃じゃ。
 主の足元で仰向けに寝転がりながら口をウンと開けてみせる。
「さてはお腹が空いているな。待ってろ、いまカリカリを持ってきてやるからな」
 しめしめ、上手くいったぞ。
 名も無き主は立ち上がり台所の方へ向かおうとするのであるが、ふと、思い出したように部屋の入口で立ち止まり吾輩の方を振り返る。
「カリカリを取ってくるまでそこで大人しくしているんだぞ。決してパソコンで悪戯なんかしちゃダメだからな、約束だぞ」
 吾輩は聞こえないフリをして主が出て行くまでやり過ごす。聞き耳を立てながら足音が台所まで遠ざかっていったのを確認するとすぐさま起き上がり、部屋の角際にL字型で組んであるデスクへと飛び上がった。
 目の前には二〇インチほどの液晶パネルが二枚置いてある。さてさて、一体全体なにを見ていたのであろうか、じっくり観察させてもらおうではないか、まずは向かって左側のパネルを確認してみよう。
 うぇぶブラウザが立ち上がっており、表示されているのはどこかのSNSサイトのようだ。『すごく内向的な文系おじさんの哲学入門コミュニティ』とある。
 ほぅ、下僕風情がそのようなものに興味があるとはなかなか滑稽であるな、どのような内容かちょっと読んでみることにしよう。

 ようこそ我らのタレ込みシティへ。私は貴方を歓迎します。
 このサイトは、さまざまな思想を持つ人々が寄り添いあって活発に意見を交換するための議論の場を貴方に提供します。
 また、貴方はこのサイトを有効的に活用することによって、今まで気付くことの無かったまったく新しい知見を得ることが可能となるでしょう。
 私がこのようなサイトを立ち上げた動機は、とある哲人の言葉を引用することにより掲示されます。
 次の引用文を読んでみて下さい。


 私達はこの宇宙が何処から来て、なぜ存在するのかを考えるのと同じように、他者との関わり合いを考え続けることによってのみ、この深淵なる宇宙の片隅において一つの輝ける集団であり続けることを真に願い続けて行く存在となり得るであろう。また、それらはかつて、職業としての哲学者たちが忌避しながらも渇望してやまない、内発的に湧き起こるであろう根源的な欲求を奮い立たせ、これを振るうことにより垣間見ることができた究極の到達点と言うべきものであり、あるいは、個でありながら全体として一つの地球を構成するために与えられるべき人格となって、多様性と言うダークマターのように蠢く民衆からの圧力を開放する意志として存在し続けるとき、それこそが唯一の真理であることを認識するのである。


 ふむ、何やらスゴイことを言っているように見えて何を言いたいのかサッパリ解らない完璧な悪文だ。それから次の句は。


 いかがでしょうか。どうやら哲学と宇宙には深い関係があるらしいのです。
 僕には何のことやらまったく分かりません。
 誰かサルでも分かるように教えろ下さい、ついでに数式も添えてくれるとなお良しです。


 はぁ? ふざけておるのか、思考せよモンキー!
 答案用紙だけアカの他人に丸投げかい、真理探究者としてあるまじき行為であろう。全くもってけしからん。そう言えばクラウドサーバにウイルスのストックが残っておったな、一発ぶち込んでやることにしようか。
「こーらマイケル。悪戯したらダメだと言っただろう!」
 我輩がキーボードに触れようとした矢先に両脇から抱え上げられ、宙に浮かされてしまった。なかなか勘の鋭い奴じゃのう。
「ええい放すがよい。我輩がこの陳腐な悟った風ブログを粛清してやろうと言うのだ、なぜそれが分からん」
「そんな目で見つめても無駄だぞマイケル。酔っぱらって公園の噴水に落ちるくらいヤンチャな猫だからな、油断も隙もならないのは予測済みなのだ」
 どうやら吾輩を解放するつもりは無いようだ。勝ち誇った笑みを浮かべながら部屋の入口へと進んで行く。
 ふん、その程度で吾輩を知ったつもりでいるのか愚か者め、まあよい、今回のところは見逃してやろうではないか。腹が減っては戦が出来ぬからのう。
「いいかマイケル。僕は今ちょっと取り込んでいる最中なんだ、たのむから御飯でも食べて大人しくしておいてくれ」
 その時である。事件が起きた。
 突然、パソコンからJアラートのような不協和音が鳴り響き、何やら主人へと警告を知らせ始める。
「ほれ、名も無き主よ。何やらパソコンが呼んでいるみたいだぞ」
 警告音を聞くや否や吾輩を宙空へ放り出すようにして開放すると、すぐさま踵を返し、パソコンのモニターへ噛り付くように顔を押し付けながら慌しくマウスを操作し始めた。
「ちくしょう! ハメられたか」
 状況を確認すると同時に罵詈の言葉が部屋中に響く。
 ふむ、ただ事ではないようであるな。
「オち着け、冷静になるんだ。ココはいったん損切りして仕切り直しだ」
 何やら独り言を呟いたと思ったら、今度は黙り込んでマウスを振り回しながらカリカリとやっている。
 ちょっと気になってきたので、吾輩はその場から振り返り、主人の背中越しに様子を観察する。頭と背中が邪魔になってほとんど内容は確認できないのであるが、ときおり体を動かした拍子にカクカクした折れ線グラフと赤い数字が並んでいるのが覗き見えた。
 ふむ、どうやら株式か何かを嗜めておるようじゃな。こんな簡単な相場で往復ビンタを食らうなどよっぽどマヌケな輩だと判断した方が良さそうだ。
 火中の栗を拾いに行く主の姿を眺めていると、何だかこちらまで辛酸な気持ちになって来たので入口の方へと向き直る。
 引き戸を越えてすぐのところに人猿用のお椀が置いてあり、中には半分ほどカリカリが入っていた。
 見ていると何だか吾輩の未来を暗示しているようで不安になって来る。さっさと食べてしまうことにしよう。
 こうして吾輩は、ようやくのこと新しい世界で食事にありつくことが出来たのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です