猫の気持ち 其の六

 毛穴咲き 吾身を枷る 朧かな。

 一句詠み上げてから今宵の舞台へと進む。
 空き地の中央は雑草と地肌が半々といった具合で、雲の切れ間から覗き込む月明かりがスポットライトのやうに真中を照らしている。
 月明かりに導かれるように、二匹の猫が空き地中央へ悠然とした足取りで進んで行く。もちろん、これは猫的に優美なありさまを表現したもので、決して二足歩行でのっしのっしと歩いているわけではないぞ。
「あたいの名前はローザ、よろしくね」
 流暢ではあるが、どことなくこの国の猫とは違った独自の雰囲気がある。
「うむ、こちらこそ。ひょっとして異国の方かな?」
「ええ、ロシアから留学に来ていますの」
 なるほど道理で、ご近所の猫達とは毛並みが違うと思った。不思議な魅惑と愛嬌あふれる様を見ているだけで、あやうく今日の目的を見失ってしまいそうになる。
「やあやあ、お二人さん。お早いお着きですな」
 吾輩が来た方角と反対側、路地に接した入口から二匹の猫影が現れた。片方は小太りの三毛猫、もう片方は相方と対照的にゲッソリと痩せ細ったサバトラ柄で今にも朽果てそうな身体をフラフラと引きずって歩いている。薄っすらと開いた眼は閉じているのか開いているのか判然としない風体だ。
「初めまして、今宵は御相伴にあずからせてもらいます」
「こちらこそ、今夜は貴君のために精一杯のおもてなしをさせてもらうよ」
「そちらの御仁は」
 痩せ細ったサバトラ猫へ向き直り話しかけてみる。
「拙者か。なに、名乗るほどの者ではござらぬ」
「ハッハッハッハ、君。相変わらず旋毛曲がりだねぇ。なに、本人がこう言っているんだ、好きなように呼んで差し上げなさい。彼とは長い付き合いなんだがね、実を言うと私も本当の名は知らないんだ」
「さようでござるか」
 猫の世界もいろいろである、のっけから変わり者に出会ってしまった。独仙君とでも呼んであげようかしらん。
「おっといけない、自己紹介がまだだったね。小生の名前はちぃーとばかし長ったらしくてね。正式な名前は、ポルフィリオ・フェルナンド・ニコラエ・シェココビッチル・スティーヴィー・フラウムラ・ストラウス・フリードリヒ・バルスコフ・メイエル・アーリエネ・ポトギエフ三世」
「え、何ですと? ポルナレフ・フェルナンド……」
「いやいや、ポルフィリオ・フェルナンド・ニコラエ・シェココビッチル・スティーヴィー・フラウムラ・ストラウス・フリードリヒ・バルスコフ・メイエル・アーリエネ・ポトギエフ三世。まぁ覚えにくいだろうからね、ポルポトって呼んでくれるかな」
「ふむ、ポルポト君ね」
「ほんと、長ったらしい名前よねぇ。もう何回も聞かされたけどとても覚えきれないわ」
「ごもっともだがね、四文字まで短縮してあげれば誰にだって覚えやすく、伝えるのも容易だろう。莫迦にでも解りやすく伝える。これが天才の芸術というものだよ満毒斎君、足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。日々の創意工夫こそが大事と言うことだね」
「なるほどねぇ、是非とも参考にさせてもらうことにするよ」
 この上から目線と意識高い系のモノ言いからして、どうやらこのポルポト君がネコネコ団とやらのリーダー核らしいな。何やら面白そうなのでしばらく観察させてもらおうか。
「おやおや、もうお揃いのようだね」
 吾輩が来たのと同じ方角。レストランの裏手からもう一匹現れた。白黒のブチ模様で艶やかな体毛は後光が差しているように見える。陽気な足取りでステップを刻みながら中央へ集結した輪の中へ切り込んで来たと思いきや、でんと真中へ陣取り吾輩へと向き直ると、何故かは知らぬがズイッとウィスカーパッドがくっ付き会いそうなくらい顔を迫り出して来た。
「やあ、ボクの名はアランチョーネ、人呼んで沈黙の料理人さ。フフフフ……」
 あまりにも顔が近すぎるせいか、お互いの鼻息で髭がプルプル揺れあう。それと同時に背中辺りの毛が逆立ってきた。本能的に何かを警戒する生体反応に思える、身の毛がよだつとはまさにこのことか。
「ホホホホ、人呼んでって。言ってるのはあなただけの自称でしょう」
 まったくもって、ローザの見解に同意せざるを得ない。沈黙と言いながら独仙君のやうな寡黙さは微塵も感じられないし、吾輩の視界を占領するこの自己顕示欲の強さは一体全体なんなのだろう。ついでに言えば、フフフフの後に続く真の意味を小一時間ほど問い詰めてやりたい気分なのであるが、吾輩は蛇に睨まれた蛙のように体が硬直してしまい声を発することさえままならぬ状況になってしまった。
「アラン、お楽しみは後に取って置いて、まずは晩餐の準備を始めてくれるかな」
「がってんだ。ちょいと待ちねぇ」
 フイと吾輩の視界から消えたと思ったら、またレストランの方へと駆け戻っていく。
 アランの後姿を眺めながら、さきほど両者が交わした行間を飛ばすような会話を咀嚼していると、何か暗黒面に包まれたドロドロとした不安が吾輩のこころの中にストンと落ちるのを感じた。鬱屈とした感情と疎外感が複雑に絡み合った言いようの無い畏怖の念が一筋の糸を垂らしながら吾輩のこころの中でどんどん膨らんでゆく。肝心なところが黒く塗り潰された売買契約書を眺めているような気分だ。
「さて、今日は何回で成功するのかしら」
 声と共にぼうっと眺めていただけの焦点を再び合わせてみると、その先にはレストランの勝手口に付いているドアノブ目掛けてアランがジャンプを繰り返している。勝手口をこじ開けようという算段だろうか。いまいちジャンプ力が足りないせいか、あと一息というところで手が掛からずにズリ落ちてしまう。猫にしては運動不足と言わざるを得ない。
「なに、今のはほんの準備運動さ、じゅ・ん・び・うん・どう」
 こちらへ何事か呟いたあと、再びドアノブを見据え身をもう一段低く構える。
 ゆっくりと息を吐きながら丹田に気を落とし、四肢に力を込めて鉤爪を地面に引っ掛けながらさらに踏ん張る。
 よし、もう一度。

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猫の気持ち 其の五


 約束の期日が来た。
 風呂から上がり、脱衣所で集会に参加するための身支度を始める。
 とは言ったものの、猫になって参加するのであるからオサレな服やアクセサリーなどは必要ない。裸一貫、髭の手入れだけで十分であるが、何分猫っ毛なので少々手間取る。頸は良く回るものの手が使いづらひ、この手ではパソコンのキーボードを打つのがせいぜいである。何事も一長一短あるものだ。
 おっと、こんなことをしていては遅刻してしまう、さっさと出掛けることにしよう。
 人間で在れば玄関から出るところであるが、猫の身体では難しいのでトイレに移動してそこの窓から出ることにした。泥棒避けの格子が付いているが、なに、猫なら簡単にすり抜けられる。スルリと抜け出してアパートの廊下へ躍り出たら、今度は階段を使って1階の玄関まで一気に駆け下りる。
 さてと、ココでまず第一の関門、自動ドアだ。ココを抜けなければアパートの外に出ることは出来ない。出るときは簡単、赤外線センサーを反応させれば自動で開くが、はたして猫の身体で上手くいくであろうか。
 センサーの照準を見定め右往左往、猫じゃ猫じゃでも踊りたい気分であるが、あまり怪しい動きをすると人間どもに怪しまれてしまうので控え目に腰を振ってみる。
 しばし踊りを続けていると、モーターの駆動音と同時にドアがスライドを開始した。よし、上手くいったぞ。人目に付かぬウチに表に出てしまうことにしよう。
 アパート前の通りへ出て一旦足を止めてから辺りを見回してる。
「おお、コレは」
 当たり前のことであるが人間のときとはまるで違う、猫の目がこれほど便利だったとは。
 夜でありながらも視界はクッキリと鮮明。それはもう毎日のやうに見慣れているはずの風景画がまるで別世界のように新鮮に感じるではないか。夜空には雲の切れ間から薄っすらとお月さんが顔を覗かせている。夕方ににわか雨が降ったものの、今は上がって道路もすっかり乾いたようだ。少し冷えてきた風が髭を撫で付けてくる。
「よし、いざ行かん」
 軽快な足取りで目的地へと向かう。当然吾輩は猫なのでお行儀良く碁盤目の道路を進む必要は無い、ご近所の庭や塀の上を堂々と突っ切って真っ直ぐ進んで行く。超人的な身体能力を手に入れた吾輩は、体長の何倍もある障害物でもヒョイと一跳びするだけで簡単に乗り越えてしまう。この軽やかさも一度味わってしまうとクセになるな。まるで月面を歩いているようで、鉄のような体を引きずって歩く人間どもが憐れに思えてくる。
 ただし車には気を付けた方が良い。ヤツらは人にあらずんば遠慮なく轢き殺しに来るし、トラックなどに至ってはジェット機が突っ込んで来るやうなもので、猫の身体だと近くを通っただけでコッチが吹っ飛ばされそうになる。慣れないうちは大きい通りを歩くのは止めておこう。
 猫の姿と共に新しい発見を楽しんでいるうちに某レストランまでたどり着いてしまった。
 今日は定休日なので明かりは点いておらず、住宅街の奥にひっそりと佇んでいる。週末なのにお休みとはなかなか根性のある店だ。まあ、目的地はこの裏の空き地なのでお休みでも問題ないのであるが、ちょっくら店の脇を通って裏手へ廻らせてもらおうと思ったその時。何やら奇妙なモノが視界に映ったのでふと立ち止まる。
 お店の入り口――。『NOIR』と書かれた看板の後ろに何か吊るしてあるようだ。
 はて、ココは洋食屋さんのはずであるが、何故か場違いな干し柿がぶら下がっている。これは一体、何かの魔よけかしらん。はたまた猫目だけに見える亡霊か・・・・・・。
 見てると何だか気味が悪くなってきたのでサッサと空き地へ行くことにしよう。
 猫だと思って甘く見たか。思いのほか店の壁と塀の隙間が窮屈で、通り抜けるときにちょっと身体が汚れてしまった。ヤレヤレ、帰ったらまたシャワーを浴びないと。
 裏手へ回ってみるとお店の勝手口があり、反対側の空き地とはブロック塀の一部が取り壊されて地続きになっている。コイツは有難いことだ。
 とりあえず頭だけをヒョイと覗かせて空き地の様子を窺ってみる。
 ふむ、もともと民家が建ててあったのを取壊して更地にしたようだ。中央は開けているが隅っこの方は大分雑草が伸びてブロック塀には蔓が張っている。
「あら、こんばんは」
 ふと、天の方から声が聞こえてきたので見上げてみると、塀の上に一匹の猫が横たわっている。
 その姿を見た瞬間。吾輩の中に眠る詩人の境地が蘇って来た。
 朧月夜に流れる黄金色の体毛、ふくよかながらマニアックな肉付きと真実を見つめる青い瞳。――可憐だ。人間であれば絵筆を取って画を一枚描き上げるところであるが、猫となってしまった今では叶わぬ夢か。
「やあ、お月さんが綺麗ですね」
「ええ、ほんとうに」
「あなたが今日の新人さん?」
「さよう、満毒斉でござる」
 月が静かに見守る中でしばし見つめ合う。長い宴の夜が始まりを告げようとしている。